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要するに、南部氏は身内の自光坊を差し込みたかった、というのに加えて、 南部信直が幼少期の頃より培った岩手山への信仰が篠木とは異なる思想であり変えたかった、という構図になる。 1626年には自光坊を修験者におけるトップに据え、岩手山の祭祀をすりかえる気満々だった

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ウグイス宿@ashinowoto

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次に、大勝寺の勢力。時系列で追ってみる。 1.1619年:羽黒派の切腹 九戸政実の乱にて、羽黒派の修験者である真田清鏡は南部利直を支援した。 「当時、利直と霞場を得る権利を得る約束をした」と主張し、1599年に南部利直との面会を求めたが面会は叶わず真田清鏡が切腹。え?切腹?

ウグイス宿@ashinowoto

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