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文化記号論に置き直すと、芸術作品に複数の解釈が生じるのは、対人のコミュニケーションでいう会話(パロール)がほとんどおしゃべりみたいなもので、主体の決定(Se)とパロール(St)がずっと平行線をたどってる、と解釈できるのかな。 共時態・通時態も曖昧、そもそもラングが違うかもしれないしなあ。

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トウソクジン/Tosokujin@co_v_h2

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ラング(ある集団の共通言語)というのは、現4でいえば「4」と「十」というシニフィアンが「4コマ」と読み取られる、つまり「4コマという概念(シニフィエ)」と恣意的に結びつけられる。 一般的な言語体系とは不文律が異なるから、慣れてる我々とそうでない人では解釈に差異が生まれる、って感じかな。

トウソクジン/Tosokujin@co_v_h2

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