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一方、築造年代をみると、装飾古墳の登場は4世紀中葉〜後半で、前方後円墳の発生からは約1世紀遅れる。また装飾古墳の終焉は7世紀前半は、前方後円墳の終焉と同時期で、飛鳥時代の到来とともに消滅した。画題や構図は、古くは幾何学文が多く、次第に器材が加わり、6世紀に彩色壁画が加わった。

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いつみみふね@skytree222

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装飾古墳の築造数は、全国で約600基が知られているという。ただ破壊されたものも多く、正確な数は不明。分布は九州北部と中部が半数を占め、特に福岡・佐賀・熊本県。次いで関東から南東北で、特に神奈川・千葉・茨城・福島・宮城。鳥取県を中心とした山陰東部にも集中する。以上が装飾古墳の概要だ。

いつみみふね@skytree222

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