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「水星の魔女」も「バーンブレイバーン」も 私からしたら直球で同性愛じゃん、なんだけど 同性愛ですか?て聞いたら逃げる(水星の魔女は脚本上や海外へ向けての情報では結婚しており、ブレイバーンのラストも匂わせでくる) 同性愛を描くけど同性愛の責任は持ちたくない、という姿勢が問題だと思う
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フィクションでも、社会や業界に与える影響を評価の一部に含めるのは当然のことじゃない?実際、それが理由で高く評価されている名作もたくさんある。そういう意識が足りないことを批判しても全然おかしくないっしょ、もう令和だし。あと、異性愛を例に挙げるのはもういい加減にしてな。マイノリティの…
鉄血のオルフェンズもラストで主人公との子を産んだアトラが主人公死亡後にクーデリアと同性婚して家族になった設定だったのに、すぐに養子縁組に直したよね。あれなんでなんだろうと思った。個人的にはどちらでも良いけどただ疑問。
神無月の巫女もご覧になってはどうでしょうか? 来月で放送20周年になりますが、水星やブレイバーンとはロボ×同性愛の組み合わせは同じながらその二作よりも遥かに直球の同性愛描写がありますし、且つ壮絶で熱く切ない百合物語となっていますので、未見なら是非! 姫子と千歌音ちゃんは永遠です! pic.x.com/zm9yuncn6d
日本はBL/GLフィクションの文化のおかげで同性愛の表象(イチャイチャ、お付き合い 、匂わせ含む)にはあまり抵抗ないけど 結婚のような「権利」「社会」といった現実的な制度や社会構造の問題にぶち当たると途端に弱くなってしまうイメージですね (ここらへん、マッチョなハリウッドと対照的)
「明確な設定(表明・回答)なしにマイノリティを出すな」なんてマイノリティの理解から遠ざかるだけではありませんか? そもそも責任を持てないものを表現してはいけないのですかね。 無関係な外野におもちゃにされてるように感じられるってこと?