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元々は多摩川に沿って街道があり、町が形成されています。 元々、青梅鉄道は何も無いところに線路を轢いたので、町側の南口や西口が栄えました。 戦前戦後、何もなかった線路の北側に工場が立ち並び、従業員向けの商店や宿舎が増えたことで北口や東口が開発された流れだと思います。

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原島まさ直🇯🇵@masanao2019

みんなのコメント

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ありがとうございます。 東側は、いわゆる武蔵野台地で、比較的平らで工場誘致・宅地開発もしやすいのでしょうね。 昭島・福生付近ですと、多摩川もさして谷が深くありませんが… 羽村・青梅ですと河岸段丘で、大規模開発がしにくのでしょう。

おめ通【西多摩 地域情報サイト】@ometsu_net

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