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昨日も紹介した戦前の京都市街地図ですが、堀川今出川の西南にあった「瑞龍寺門跡」(現在は近江八幡市)が「村雲尼公」と表記されているのが興味深いです。 瑞龍寺は、「村雲御所」という御所号があり、維新後も伏見宮家から入られた「村雲日栄尼公」が住持されていました。 pic.x.com/LoqJqKPsiB

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釋賢昭@adg632363

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村雲日栄尼公は、伏見宮邦家親王の第八王女で摂家九條尚忠の猶子として瑞龍寺に入られました。 邦家親王は、博覧強記で知られた一條家の侍、下橋敬長によれば50人くらい子どもがあらしゃったそうです。 いわゆる旧皇族は、邦家親王の子孫になります。

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