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#光る君へ で、刀伊の入寇がドラマ化されて、で、それ以前から調べて居るけど、刀伊ってなに?なわけで、普通、女真族の一派の海賊と言うが、これが、高麗人により、刀伊と呼ばれて、これは、東夷だ、って言うけど、東夷は、朝鮮語だと、동이 (dong-i)、だから、되(toi)にはならない。

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鬼塚健太郎@KentaroOnizuka

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⑤高句麗や渤海沿岸部に居住する漁撈民の流れを汲む民族を考慮しても良いのではないかと思います。 ※ご存じとは思いますが ↓役立ちます! 『東アジア民族史』井上秀雄他訳注/平凡社 史料:中国正史中の東夷伝(史記〜隋書・南史・北史)

ゆうがお2@xpmwAi1q3aQNoAX

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④関係は注目すべき事です。 刀伊が女真の支配下にあったとしても女真人であるとは言えず、それは高句麗や渤海も 単一民族の国ではなく、その支配下に様々な民族・部族があり、時によって離合集散す る様子が史書からもわかります。刀伊と言われた人々も女真族一辺倒ではなく古代から ⑤↓

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③襲撃するのは粛慎・挹婁にだけ書かれる事です。 粛慎に関しては『日本書紀』にも記録があり、斉明天皇六年「阿倍臣に渡嶋の蝦夷が、 粛慎の船団が渡嶋に押しかけ我らを殺そうとしている、と助けを求めた」、欽明天皇五 年「佐渡嶋に粛慎人が船に乗り春夏の間漁をしに来る」 “粛慎と言えば船”との④↓

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①刀伊=東夷はさて置き、通説では刀伊は女真族といわれますが、女真には農耕系も遊牧系もあるようで、どちらにしても海に慣れない彼等が船団を操って遠洋航海の技術を持ち海賊が出来るかと言うと甚だ疑問です。 そこで中国史書中から沿海州周辺の民族に関する記事を拾って見ると、 ②↓

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②かっての高句麗・後の渤海国の沿岸部は数多くの民族が散在していた辺境の地域であり、周代の粛慎、漢代には挹婁と呼ばれる民族が居ます。彼等に対する中国の各時代の共通認識は「粛慎或いは挹婁は頻りに船に乗り近隣地域に侵入し財物を奪うので周辺諸国は苦しめられた」とあり、船に乗り他国を③↓

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