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山陰地方って現代のステレオタイプなイメージからは比較にならないほど1970年代頃までは名実ともにすごい土地だったんだよ。島根や鳥取、山口、広島の山の方行くと、かつての名家や素封家の邸宅が廃墟になってる風景が溢れてる。山陰だけでなくてかつてはどんな田舎でもそういう邸宅や洋館があって→
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それなりの経済・産業基盤や人口が維持されてたのが、時代を追うごとにどんどん街や地域そのものが痩せ衰えるように衰退して、今や見る影もない…なんて街がザラで仕事がない、時代が変わったからとわずかに残った若い人も外や都会に出ていく構図が繰り返されると。私の故郷もそうだけど…。
ローカル私鉄の一畑が、ワンマン化やCTC(一ヶ所から運行を管理できるシステム)をかなり早くから採用、社員一人あたりの支出を最良にしてたのは、そういう理由もあったのかも… pic.x.com/wkImER1izx
山陰地方の旧家を彩っているのが赤い色の石州瓦。瓦に釉を施しているため割高ですが耐久性、耐候性に優れています。 広島県でも雪の多い山間部では多く見られ、この地域の人たちの原風景にもなっています。 朽ち果てた大きな邸宅の中で、屋根だけがいつまでも鮮やかな赤い瓦だったりします
寝台特急出雲1・4号(東京〜浜田)が運行されていた理由でもありますな 今は益田〜幡生間に定期優等列車が走らなくなった件も… x.com/725578cc/statu… pic.x.com/J9Fwh3EOE8
情景仰るとおりですし、かつての山陰・山陽はすごく面白いし好きなんです。もちろん現代も。 でも、北前船と、明治維新後に閥を作って地元(長州や芸州など)にバンバン依怙贔屓した結果だということもちょつと言いたいです。なんか無粋ですみません。 どんな田舎にも…が気になり。意図は理解してます
子供の頃習った過疎化の進行が著しい中国山地ってやつですね。。 70年代生まれだけど物心ついた頃にはもう過疎化で凄い土地のイメージはなくなってたけど,一応,姫新線も芸備線も急行列車が何本も走ってはいて地域に一定の流動はあるようだった。