ポスト

近衛秀麿が1924年にベルリンフィルを指揮した時に演奏した曲がカリンニコフ交響曲第1番で、1925年にハルビンフィルを招待した日露交歓演奏会でカリンニコフを再演。指揮者メッテルは遅れて来日し1927年に新響でカリンニコフを演奏し、感動した朝比奈隆青年はメッテルを慕って京大に進学する。 x.com/takanoriida/st…

メニューを開く
依田高典@takanoriida

近衞秀麿は日本の交響楽団を立ち上げた功労者だが最後は全てと絶縁した。京大オケだけは定期的に近衞の指導を受けた。近衞通りに隣接する集会所近くで飲んだり深夜映画を観たりしたらしいが、摂関家筆頭近衛家の末裔が苗字の由来になった近衞通りで晩年を過ごしたのも千年の都ならではで感慨深い。 x.com/takanoriida/st…

依田高典@takanoriida

みんなのコメント

メニューを開く

二点興味深いこと。第一に近衞は既にベルリンでカリンニコフを取り上げており、ハルビンからロシア人楽団員が来たからロシア音楽を選んだわけではないこと。第二にメッテルがカリンニコフを演奏したのは、その性格からして恐らく自分を置き去りにした近衞への意趣返しだったのではないかということ。

依田高典@takanoriida

人気ポスト

もっと見る
Yahoo!リアルタイム検索アプリ