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昭和48•49年まではいましたが、末期はワンマンのような整理券方式車で中扉で乗降するだけでした。以前は車掌さんが金額式回数券の束になったよう切符を切ってくれました。 関鉄の水戸は昭和55年頃までワンマン表示のところに「整理券車」という表示を出してツーマンで運行していた路線もありました。
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貴重な情報をありがとうございます、もう一つかなりマニアックですが、茨交バスの料金箱の系譜→私の記憶だと昭和50年頃に降り口が手動式からベルトコンベア式の両替機も付属された赤い自動料金箱になった記憶ですが。?当時は現在の様に、バス自体🗾各地を中古で使い回す慣習もありませんでしたね。😧