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→モースは腕足類の調査を目的に明治11(1878)年7月26日、小樽港へと入港します。上陸した(手宮付近か?)モースが茶店で土器を見つけ、それが大森貝塚で出土した土器(縄文土器)と同じ特徴があることに気が付きます。 「縄文」(cord mark)の命名者モースはさっそく遺跡に赴きます。→ pic.x.com/j5rvza1u7v

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小樽市総合博物館(公式)@OtaruMuseum

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→「午後、堆積地点へ行って見ると、中々(quite)範囲が広く、我々は多数(quite)の破片と若干の石器とを発見した。」(『Japan day by day』)と記録しています。モースは発掘地点の詳細について書いていませんが、同行者、植物科学者、矢田部良吉(1851~1899)の日記にヒントがあります。→ pic.x.com/v74EHwUHbX

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