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被害者(の遺族)が敬虔なクリスチャンである場合に、加害者を訴えないことが信仰的美徳として感嘆とともに語られることがある。日比谷線脱線事故の犠牲者のなかに松谷さんの知人であった信徒がおり、その犠牲者がいわば「殉教者」として語られることに、松谷さんは違和感を覚えている。 x.com/macchan1109/st…

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松谷信司(プロテスタント2世)東方の3おじさん「キリスト新聞」編集長 ENFP-A@macchan1109

今でも忘れられない脱線事故の話。#日比谷線 #福知山線 #東方の3おじさん #赦し 福知山線脱線事故から20年 不条理と信仰 - 松谷信司×MARO×清涼院流水 r.voicy.jp/gJmZYD4kKBP #Voicy #今月を振り返る

沼田和也(王子北教会牧師)@numatakazuya

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死んでいった人が死の瞬間に何を想ったのかは分からない。死んだ本人に尋ねるわけにもいかない。死者を追悼し、あるいは顕彰する。それは遺された人々が願うことでもある。そのことと、悲惨な死にかたそのものを美化することとは、なかなかに分離しづらい困難がある。

沼田和也(王子北教会牧師)@numatakazuya

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