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たとえば井原西鶴を主人公にした話で、情報という概念のない時代にその存在と価値に気づくというのであれば「情報」という言葉を使わない方がいいと思いますが、それ以外はこだわるのは無意味です。たとえば「可能性」「蓋然性」を江戸時代に使うと文句をつける人が出るかもしれませんが、 x.com/chikuzen_1982/…

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筑前助広(小説家)@chikuzen_1982

江戸時代に「情報」という言葉は存在しないので、明治以前の作品で使うのはNGというのは有名な話で、使わない作家もいれば、校正から指摘を喰らうこともあります。 ですが筑前は「情報」と書いて「タレ」と読ませるから無問題。筑前の世界では、情報的な意味を持つ言葉をタレと言うのです。

芦辺 拓@ashibetaku

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黒岩涙香はpossibilityを「も知れん感」、probabilityを「だろう感」と訳していて、まだ訳語が固まっていないのをうかがわせる。じゃあ明治ものに「可能性」「蓋然性」使っちゃいかんかというと、そんなこたぁないわけです。誰かから表現や言葉を奪っても平気な人間の言うことを聞いてはいけません。 pic.x.com/V9ECbFAzYY

芦辺 拓@ashibetaku

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