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「ほぐしばい」がまるで演劇に見えなかったのは、来訪者がリラクゼーションサービスの受け手としての「客」になるから、という側面もあるのかもしれない。別言すれば、サービスの受け手ではない顔ができる「観客」の安全圏を失い、「触れ手」に「快楽」を提供される剥き出しの「客」性があらわになる。 x.com/z_z__z/status/…
メニューを開く本作はまるで演劇に見えない。なにしろ観客に触れ、ほぐし、疲れを癒す。だが臆見を排してそれを見るならば、むしろ劇場で見られる演技は、ステージングの制約の元で実現された形に過ぎず、俳優が現に行っていることに適した形を与えたとき辻村の場合は「もみほぐし」の形が出力されてしまったのだ。