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そうすれば、身体が特定の局所に封じ込められているということの意味は、次第に減殺されていくだろう。 実際、オウムの体系化した修行は、身体の個体的なまとまりを解除することを指向している。 『増補 虚構の時代の果て』大澤真幸
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たとえば、細長い清潔な布を口から腹中に入れ、再び引き出す修行がある。 「ダウティ」というこのごく初歩的な修行は、皮膚的な界面の内側にまで布を入れ腹中の汚れをかき出すことで、個体を区画する境界の恣意性を実感させる効果をもっている(私がインタヴューした信者の教示による)。 ↓