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身体を微分していく修行を徹底させていけば、ついには、自らの身体を、(皮膚的界面の)内外に開かれた流体や気体(風)として、あるいはエネルギーの波動や光のようなものとして、実感しうるまでになるだろう。 『増補 虚構の時代の果て』大澤真幸

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安西大樹(あんざいまさき)@merginalman

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エネルギーの波動として感覚された身体の様態は、オウムの用語系の中では——というよりむしろその典拠となっているラージャ・ヨー ガやクンダリニー・ヨーガの用語系の中では——「クンダリニー」と呼ばれる。 『増補 虚構の時代の果て』大澤真幸

安西大樹(あんざいまさき)@merginalman

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