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看護学生を日本軍は徴用するだけしといて、敗色濃厚になると「今日で部隊は解散、あとは各自で考えて生き延びるように」と無責任に壕の外に放り出して自決させたひめゆり部隊の悲劇はこの国の若者使い捨て・無責任体質を象徴していると思う こういう政治家がいるから氷河期世代みたいなのが生まれる
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当時の被害者は声をあげるが加害者は声を上げない、友軍が私は県民を助けたと名乗り出る人は殆どいないアメリカ兵より日本兵の方が怖かったと母親から聞いた事がある、戦争経験者の声は嘘を付かないいや嘘を付けない、戦争経験者の証言が何よりの証拠、西田氏は誰が戦争を起こしたかを答える義務が有る
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書き換えられていると言うならば、政倫審で「そもそも清和研の一員として、裏金議員という認定でレッテル貼られている。それを晴らすためには還付金の継続を決めた経緯と、誰がやったのか、察知したのか、という事実関係を説明することが一番」と自身で発言しているので、その事実を開示して下さい。 pic.x.com/4ha3iNQPxI
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小説 新人間革命 19巻 宝塔の章より引用 聖教新聞の沖縄版で、戦争体験の連載が始まったのは、一九七三年(昭和四十八年)の八月三日付からであった。 タイトルは「戦争を知らない子供達へ」である。 この連載の最初に登場したのは、 「ひめゆり部隊」で生き残った婦人であった。