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昭和13年には、東京市内でも養蚕農家があった。 荒川区 約30戸 板橋区 約300戸 足立区 約250戸 世田谷区 約200戸 江戸川区 約100戸 葛飾区 約100戸 荏原区 約80戸 目黒区 約60戸 大森区 約50戸 蒲田区 約40戸 滝野川区 約20戸 王子区 約20戸 杉並区 pic.x.com/oMtJkO8MeG

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和中 光次(わなか みつじ)@111g0

みんなのコメント

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日本の輸出品トップは絹、絹織物でした。 次は綿布、綿糸、それから陶器や漆器でした。

Atsuko Yamamoto🇯🇵@piyococcochan2

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明治大正の東京市(とその後東京市に編入された郡村)の養蚕農家数。 明治30年代 東京市赤坂区 数戸 東京市小石川区数戸 大正14年 荏原郡約350戸 豊多摩郡 約400戸 北豊島郡 約400戸 南足立郡 約800戸 南葛飾郡 約1000戸 北多摩郡砧村 165戸 北多摩郡千歳村 100戸前後

和中 光次(わなか みつじ)@111g0

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以前高円寺に用事で出かけた時、途中に蚕糸の森公園と言うのがあり、なぜ蚕糸?と思いましたが、昭和55年まであった蚕糸試験場の跡地を利用した公園でした。明治・大正の頃の杉並区では、養蚕が収入源の一つだったようです。

KokuKoku@hajime_koku

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紅葉山御養蚕所で今も大事に育てられてますね☺️昭憲皇太后様が養蚕を復活されたと聞いてます

はるとよ@mii_tan1966

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こんなにあったんですね。 学生時代に川崎にいた時は桑畑と栗林有りました。 開発地区だったので藁葺の農家さん少しだけ見れました😊

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私は神奈川県の多摩地区よりに昭和60年に引っ越して来たんですけど、まだ養蚕業をされてる大家さんの賃貸で…小さかった子供達と一緒によく「お蚕さん」を見に行きました。もうあの時が最後だったのかも知れませんねぇ

vườn hoa hạnh phúc@floresdece38615

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