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返信先:@kamiaki1950映像に関する理論家でもあり、ピランデルロの舞台の演出もしています。昔、新日本文学会主催の文学学校の講義でお話し聴いたことがあります。仰るように物静かで誠実そうな人でしたね。映像作品はフランスで高く評価されているようです。
備考:渡恒はワタツネで、ナベツネの通称はずっと後から。渡邉の1学年上のいいだもももどっかで書いてると、新日本文学会で親交のあった尊師は語る。“もも”が名前(本名=飯田桃)。彼が戦後始めた同人誌「世代」には渡邊も参加しており、その文学的センスのなさで際立ってたとも、いいだは回想してるとさ!
戦う月刊文芸誌「民主文学」若者コミュのアカウントです。小林多喜二、宮本百合子のプロレタリア文学の伝統を受け継ぎ、1965年に「新日本文学会」から独立。どなたでも定期購読者、準会員に申し込めます。購入はfujisan.co.jp/product/128169…
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返信先:@nishiogiminami5ありがとう。佐多稲子は、戦後、新日本文学会に参加したいと推薦人を依頼して中野重治に、戦地訪問をしたからと断られました。佐多稲子は戦後、それを背負って生きました。
優れた先輩、同輩と出逢い、その美点に魅了され、“驥尾に付して”きたからだ。 著者は二十代から七十代まで、まるまる半世紀を新日本文学会に在籍し、ここで編集長、事務局長、常任幹部等を務める。自身も小説、詩、俳句、評論などを物する作家である。 さて氏の優れた人とはどういう人か?ヒントは
杉啓之、遠藤豊吉、安部公房、島尾敏雄、長谷川四郎、徳永直、マヤコフスキー/小笠原豊樹・訳 ほか『新日本文学 1957年11月(第12巻第11号)』ほか入荷しました。 seichoshoten.ocnk.net
中村草田男、川端茅舎、松本たかし、池内友次郎、長谷川素逝、篠原梵 著『現代俳句 第2巻』、開高健、小林勝、福田善之、大西巨人、徳永直、小野十三郎、島尾敏雄、江口渙 ほか『新日本文学 1957年8月(第12巻第8号)』ほか入荷しました。 seichoshoten.ocnk.net
返信先:@fujinoza_oita中野重治『甲乙丙丁』を文学的観点だけでなく政治的な観点から徹底的に批判した本 西沢は共産党幹部会委員でした 中野は1960年代前半に日本共産党中央委員で、ソ連派の結成に参加して除名 中野がトップだった新日本文学会では中野らと以前の脱党者で主導権を握る これらを描いたのが『甲乙丙丁』
斎藤真理子さんトーク(B&B)① 斎藤さんが24歳のとき「新日本文学」に韓国の詩の日本語訳を載せていたと聞いて驚いた。今はなき新日文ですよ。。 光州事件が文学で描かれた最初は、圧倒的に詩ばかりだったという話の中で出た。版画と同じく、直ぐ大量に伝えられる可動性あるスタイルだったという。
日経朝刊44p、死刑囚の句集に賞。1970年代に連続企業爆破事件を起こし、獄中にいる"大道寺将司"死刑囚の句集 "棺一基"(太田出版)が、今年の日本一行詩大賞の俳句部門に選定。死刑囚が文学賞を受けるのは、83年新日本文学賞の"永山則夫"の小説 "木橋"以来。死刑判決から26年。