- すべて
- 画像・動画
並べ替え:新着順
#停車駅1文字変えてもバレない説 面白いので二度目やります 谷川 新神戸 三宮 県庁前 大倉山 湊川公園 上沢 長田 新長田 板宿 妙法寺 名谷 総合運動公園 学園都市 伊川谷 西神南 西神中央
この時間で無音はヤバすぎ。 まじでお盆来るの思ってたより1日早い感じや。なんやかんやで鳴ったから湊川で地蔵してるけど、昼過ぎには予算達成してるからもう帰ろかな? とかいってたら、妙法寺鳴ったから行ってこよ
日本山妙法寺別府道場の建立を援助してくれたのは野田卯一(野田聖子の爺さん)だとか、藤井日達の葬儀に福田赳夫が参列したとか、そういう話もちらほらあるが、詳しく書いていないのであった。まあ藤井日達存命時の日本山は政治的には全方位外交だったとは思う。共産党の集まりにも顔を出してるし。
日本山妙法寺に入信後も酒迎は反共だったようで、日本山が反核運動に取り組んだ時も《どうしても左翼と言われる組合の人々との合流に躊躇した》と率直に告白している。その後はわだかまりも消えて平和運動をしたが、本書では平和運動ではなくインドとネパールに仏舎利塔を作った時の思い出が中心です。
この日本革命菊旗同志会に参加していた久保田康貞という元僧侶から藤井日達を紹介された酒迎は圧倒され信者となり、出家することになるわけである。世間からは左翼教団と見られている日本山妙法寺と反共右翼集団のつながりは意外かもしれないが、藤井は戦前はほぼアジア主義者なので、おかしくはない。
即ちこの本、日本山妙法寺のことよりも日本革命菊旗同志会の当時の動向や分裂の状況などを知れる、右翼ファンにはそれなりに価値のあるもの、なのかもしれないが、とにかく文章が酷くて、おそらく一気呵成に書いて推敲していなく、時系列や人物を読み取るのすら困難だった。ま、覚悟して探して下さい。
酒迎天信『ひとすじの道―それはお太鼓へ、そして天竺へ』(東北海道商事、2003)酒迎(1927~2019)は日本山妙法寺の僧侶で本書は自伝。自費出版で、公共図書館には存在していない模様。大分県立中津中学卒業後に海軍特攻隊に志願(この人は半強制でなく本当に志願している)死ぬ前に終戦を迎えた。 pic.twitter.com/xQT8vAfkw0
今日は秋分 秋とはなんぞや そして、土用も明けたので草むしり再開せねばなりません 奈良ではお身拭いで皆さん汗だくだったとか… お互い水分を取りながら励みましょう 写真の蓮は鎌倉の苔寺こと妙法寺さんにて pic.twitter.com/umJrufmfoQ
続1〉さまざま思い出と想いが去来する。学生時代(1963)の8月に初めて広島市を訪れた日に平和公園で遭遇したのは帰国したばかりの広島・アシュヴィッツ-平和行進団の一行(団長は赤銅色に日焼けした精悍な日本山妙法寺僧侶・佐藤行通師)と雑誌の取材で広島市を訪問していた大江健三郎氏であった。
今日の緑道はアブラゼミの声だけだった。妙法寺ではツクツクボウシ鳴いてた。うちの辺りでは聞こえない。が、今日初めて一匹だけここら辺でヒグラシが鳴いてた。一匹だけなのでその音は弱く、アブラ、ミンミン、クマゼミらの声に埋もれていった。