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東京都公文書館(Facebook) 8月20日は「交通信号設置記念日」だそうです。昭和6年(1931)8月20日、銀座や京橋などの交差点34ヶ所に、青・黄・赤の三色の自動式交通信号機が設置されたことに因みます。 写真は、このとき銀座尾張町の交差点に設置された「信号燈」(信号機)です。ここは交通量
【展示】 東京都公文書館で、7月19日(金)~9月17日(火)、企画展「伊豆諸島 歴史・文化、そして今」を開催中(日曜日・祝日・第三水曜日休館)。絵図が多数展示されているようです。同じ期間、ミニ展示「幕末から明治初期の小笠原諸島」も。 soumu.metro.tokyo.lg.jp/01soumu/archiv… pic.x.com/1sjiz1otyc
( 西国分寺 東京都公文書館 2024伊豆諸島展 青ヶ島 古地図 ) 鉄製の小さい鳥居は八丈島/青ヶ島以外では見たことないのだが、伊勢にはある。八丈島の中之郷という地名も鳥羽市や度会町にある。もうちょっと調べてみたいテーマ。 筑紫申真『日本の神話』より pic.x.com/y5ezfggddt
( 西国分寺 東京都公文書館 2024伊豆諸島展 青ヶ島 古地図 ) 私は、「乙千代」「大千代」は伊勢で神聖視されている「千代の鳥=浜千鳥」と関係あると思ってる。八丈島〜青ヶ島の佐々木氏は、室町時代に伊勢から来た人々なので、いろいろと伊勢の習俗を持ち込んでいるはず。
( 西国分寺 東京都公文書館 2024伊豆諸島展 青ヶ島 古地図 ) 昔製塩に使われていたと思われる大釜は、今も池之沢の道端にころがっています。文化財として保護した方がいいと思うけど。 青ヶ島の美容室の店主oono/青ヶ島のブログ > 池の沢から帰る 2023.04.04 aogashimadoka.com/%e6%b1%a0%e3%8…
( 西国分寺 東京都公文書館 2024伊豆諸島展 青ヶ島 古地図 ) 大千代港へ下る道もすでにある。ここは元ショカキ ( 塩掻き )=製塩所があった。製塩所といっても、磯に焚火場と大釜があるだけだったろうが。 pic.x.com/qhttrgujah
( 西国分寺 東京都公文書館 2024伊豆諸島展 青ヶ島 古地図 ) 大小2つの四角い岩礁が、神具「三方/三宝」に似ていたのでこの名がついた、というのが私の仮説。奥が大三宝、手前が小三宝。 pic.x.com/fwpibnebab
( 西国分寺 東京都公文書館 2024伊豆諸島展 青ヶ島 古地図 ) 今の三宝港の場所は「シヤポウ」とある。もちろん港や道はない (1934年建設開始)。たぶん 「三宝」の訛りだと思う。 pic.x.com/wsssbw0v5m
(ツヅキ) ( 西国分寺 東京都公文書館 2024伊豆諸島展 青ヶ島 古地図 ) 池之沢南東部にある、なんか直方体みたいなのは、大橋水源であろう。その近くに水の神様・弁天様が祀られている。寂れているが、今も健在らしい。 pic.x.com/d8qyjelw5x
( 西国分寺 東京都公文書館 2024伊豆諸島展 青ヶ島 古地図 ) 丸山の噴火の順番は、北火口→南火口→西火口。西火口の下手が谷みたいになっているのは、溶岩が流れた時に、表層のスコリア ( 黒い軽石、丸山は全部スコリアでできてるスコリア丘 ) をくっつけて流れて行ったから。 x.com/orubhatra/stat…
( 西国分寺 東京都公文書館 2024伊豆諸島展 青ヶ島 古地図 ) 丸山には火口が3つあり、明治絵図では、北火口を穴、南火口と西火口を小穴と呼んでいる。現在は南北火口を合わせて大穴、西火口を小穴と呼んでいる。 pic.x.com/b6hdoaevep
( 西国分寺 東京都公文書館 2024伊豆諸島展 青ヶ島 古地図 ) なお中央火口丘 ( 内輪山は俗語、正しい用語でない ) 丸山の火口は陥没しておらずカルデラではない。なので「二重カルデラ」は誤り。「二重式火山」が正確な用語。(ツヅク) pic.x.com/gaicwsxwkd
( 西国分寺 東京都公文書館 2024伊豆諸島展 青ヶ島 古地図 ) 丸山には火口が3つあり、明治絵図では、北火口を穴、南火口と西火口を小穴と呼んでいる。現在は南北火口を合わせて大穴、西火口を小穴と呼んでいる。 pic.x.com/b6hdoaevep
( 西国分寺 東京都公文書館 2024伊豆諸島展 青ヶ島 古地図 ) 天保絵図では、もうもうとひんぎゃに覆われていた、中央火口丘・丸山=焼山も姿を表した。見やすいよう回転させた。 pic.x.com/ouvwrfv5kp
( 西国分寺 東京都公文書館 2024伊豆諸島展 青ヶ島 古地図 ) なお、大里神社でかつて行われていた「でいらほん祭り」は、ゾンビ製造のオカルト儀式などではなく「病気で死にかけた人が健康を回復する病魔退散の儀式」である。
( 西国分寺 東京都公文書館 2024伊豆諸島展 青ヶ島 古地図 ) 薬師様も鍾馗様も為朝様も病魔退散の神様。特に疱瘡除けの神様だ。為朝→鍾馗→薬師と主祭神が変遷してきたとすれば、今の青ヶ島に為朝様を祀った神社がないことも説明可能。
( 西国分寺 東京都公文書館 2024伊豆諸島展 青ヶ島 古地図 ) ここからは私の仮説だが、現在、大里神社の上の石場で一番権威がありそうなのは薬師様。江戸時代には鍾馗様を祀っていると言われていた。鍾馗様の前は、実は為朝様を祀っていたのではなかろうか?
( 西国分寺 東京都公文書館 2024伊豆諸島展 青ヶ島 古地図 ) 大里神社の「七社神」は、下の石場に祀られている「七首明神=源為朝の七人の家来」のことかもしれない。でも家来だけ祀って、為朝様をお祀りしていないのは変。青ヶ島全体でも為朝様を祀った神社がない。不自然だ。 pic.x.com/gwbshsbt6x
( 西国分寺 東京都公文書館 2024伊豆諸島展 青ヶ島 古地図 ) 一方大里神社には「七社神」とあり、八丈島と同様、明治初期に、各家庭で祀っていた神様を神社に集め始めた段階なのかもしれない。今では七社神どころではないが。 pic.x.com/6j48cdeuss
( 西国分寺 東京都公文書館 2024伊豆諸島展 青ヶ島 古地図 ) フジ山は一応ピークにはなっているらしいのだが、集落のずっと下手というのが解せない。思うに、江戸末期に大里居に富士講信者がいて、自宅そばに御富士様を祀ったのではあるまいか?(ツヅク)
( 西国分寺 東京都公文書館 2024伊豆諸島展 青ヶ島 古地図 ) この御富士様は、20世紀初に佐々木初太郎・名主によって池之沢・丸山山頂に遷座された。 x.com/nyankoekicho/s…
( 西国分寺 東京都公文書館 2024伊豆諸島展 青ヶ島 古地図 ) つまり「廳(庁)ノ凸部」は「祠のある丘」という意味で、「廳(庁)ノ平」は「祠のある丘のそばの平地」ということなのだろう。地名の謎が一つ解けた。
( 西国分寺 東京都公文書館 2024伊豆諸島展 青ヶ島 古地図 ) 金刀比羅神社は19世紀の還住以降の創建と新しいので、もしも還住前からある地名であれば ( 天保絵地図では解像度が悪くて読めない )、昔からある「テンネイサマ」などの古いイシバ様を指すものと思われる。 pic.twitter.com/CcCXWslSga
( 西国分寺 東京都公文書館 2024伊豆諸島展 青ヶ島 古地図 )「廳(庁)」は「廳(庁)屋 (チョーヤ)」、神社の拝殿のことで、ここでは金刀比羅神社のことと思われる。 pic.twitter.com/r1tUgUMjek
( 西国分寺 東京都公文書館 2024伊豆諸島展 青ヶ島 古地図 ) ヘリポートの平地「長ノ平 ( チョンテイロ )」とその北の丘「長ノ凸部」は、意味がよくわからない地名だったが、明治絵図だと「廳(庁)ノ平」。丘の方も「廳(庁)ノ凸部」なのだろう。 pic.twitter.com/e4mmlacdWr
( 西国分寺 東京都公文書館 2024伊豆諸島展 青ヶ島 古地図 ) このあとは、おそらく明治45年 (1912) 八丈青ヶ嶋 地形図までないと思う。 山さ行がねが > 道路レポート 青ヶ島大千代港攻略作戦 解説編 yamaiga.com/road/oochiyo/m… pic.twitter.com/m4Ge3DylRO
( 西国分寺 東京都公文書館 2024伊豆諸島展 青ヶ島 古地図 ) 明治初年 (1874-76頃) 青ヶ島 絵地図は、東京都立大蔵 天保9年 (1838) 青ヶ島 絵地図 に次いで古いものだろう。 x.com/orubhatra/stat…
( 青ヶ島 古地図 ) なんかすごいのあったぞ、これ。天保9年 ( 1938年 ) の青ヶ島地図。 東京都立大学図書館 > 貴重資料 > 青ヶ島之図 lib.tmu.ac.jp/minami-osawa/c… pic.twitter.com/xbjdudgWFU