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皆川城07end 桝形門の形式がハッキリと残る所が2ヶ所ある。南【写1,2】と南西【写3,4】の何れも館があったとされる場所と連絡する位置 そして珍しいのが、桝形門の手前に堅堀or横堀の土塁が城外方向へ縦に延び、それがアプローチのようになっている点👉土橋の如く 今では遊歩道や土塁の切れ目などで、 pic.x.com/tp0nrohgym
皆川城06 北の備え 多くの人が訪れる東南西と縄張りが異なる 麓周りの横堀普請の際に、背後の山へ続く尾根の断ち切り方を思案し手を加えたもの 概ね北郭と北出郭から成り、基本的に盛土などせず自然の地山を掘ることで造った縄張り【写1,2】 東南西より防御に乏しいので、建物などでカバーしていたの pic.x.com/bxeyyofago
元々栃木駅から北西というかじゃ 栃木ICから暫く行った山沿いに存在した皆川城から 小田原出兵後に栃木駅北東の栃木城へと居城を移しておる どちらも言うまでも無く皆川氏の城という事になるわけじゃ 以前行ってきておるしの
分断した 理由は分からないが、何故か東と南を分断する堅堀は無い。腰郭の高さをズラして連続性を断つ縄張りとしていた 山城の堅堀は土砂や落葉で埋まっていることが多い。しかし皆川城では深く、急で、ハッキリ残る 堅堀とその縁が岩盤だからと、地元の方々が草刈りなどを長年続けてきたからだと思う pic.x.com/ydbl9qsb5x
皆川城05 堅堀 切岸の普請で生じた腰郭が、連続性を持って長~く延びるのは、防御上好ましくない 主たる赤色の郭に対し、東西の紫色の斜面は崖になっているので、細長い腰郭はここまで延ばして概ね遮断される 一方で南斜面は、西と南の移動を阻害するため、等高線に対して直角方向に堅堀を3本掘って pic.x.com/7mg2vdtmlr
皆川城04 最大規模の横堀 単なる段々切岸の城であれば興味も薄いが、この城で最大の特徴は、麓を囲う横堀だろう 空堀を刻むだけでなく、堀の外側も土塁で盛り上げ、凹凸に深みを与えて防御の向上を図った 簡易測定で、城側の土塁が高さ8m+堀幅2.5m+外側の土塁が高さ2.5mで角度は43°を超える 訪城して pic.twitter.com/Q3TYLGZtET
気になって佐竹氏の皆川攻めで皆川城以外攻め落としたと言う話を思い出して年代を調べると天正元年✨これは皆川城を攻めなかったのか攻め落とせなかったのか?多気山城の改修が天正4年?(諸説あり?)前の呟きで城郭を覆うような横堀も皆川城からもあり得る?
栃木県内の城絵図を見てたら気になったのが皆川城🏯西から南へ城郭を囲うような横堀⛰️本の説明を読んでみたら北側のゴルフ城で破壊されてるところにも横堀を巡っててとか✨このお城も皆川氏の後は誰か入ったんだっけ?竪堀が印象に残ってるけど西側の堀は気になります🏯 pic.twitter.com/uBLw6Up5sg
皆川城03 縄張り 図,白破線の尾根を軸に築かれた 切岸の段々によって生まれた細長い曲輪が無数に取り巻き縄張りが分かり難いが、根本では図の赤色から成る城だ その中でも二郭【写1,2】が中核で、本郭【写3】はその附属に過ぎない 二郭は岩盤上にあり、凸の岩を削り、凹に土を盛って整地した郭なので pic.twitter.com/Knp5fKQaog
皆川城02 山頂から麓まで無数に刻まれた切岸 螺旋状や一周につながっているわけではない。角度が急で高さもあり、この様な切岸を何故多く普請でき、崩れず今も残るのだろう? 👉地質を調べると岩山だった しかし岩を削るは困難だ 中腹より上は山の核になる硬いチャートの露頭【写3】一方の切岸を pic.twitter.com/GFQ5tymhAm
皆川城で戦ったという史料は無く、敵に攻められても、他城や山野戦の記録のみ これは皆川城が小田原合戦前頃に北条の支援で普請され、それが今残っているのだろう 東北自動車道を北へ走っていると栃木IC手前で、山肌の段々が異様に目立つ採石場?だと思っていた どんな縄張りの城か楽しく見てみよう🐾
皆川城01 下野国 皆川氏の居城 享徳の乱から辿っても、北条滅亡までの100年以上の戦乱で、よく生き残れたな..という位置の一族だ 史料から栃木市と壬生町の間を流れる思川の西域(想定南北約20km)を領していたとみられる 周辺の国衆居城が10km圏に多く、ボケッとしてると1~2時間後には急襲される距離だ pic.twitter.com/7XWsVgfYJQ
いや〜今日は暑かった☀️🥵 氷嚢の氷も3Hぐらいで溶けちゃうし💧 久しぶりの皆川城CC⛳️ メガジョッキはデカかった🍺 前半はまずまず👌 後半はさすがにバテて少々粗相😓 でも無事に帰ってこれました🤗 8月はキツイね😅🏌️♂️💦 pic.twitter.com/iTLAWAP7IQ
#この夏おすすめの城 皆川城 駐車場も看板もあり 整備、草刈りがしっかりしているから 蜘蛛の巣もひっつき虫も付きにくいじょー 規模は小さいから時間余った奴は蔵の街巡りでもすればよろし。 pic.twitter.com/lFAzHE6ovO
私は「あしたのジョー」の元ネタが栃木にあると常々考えていたが、なんと栃木県栃木市の民話にそのルーツがあることを知って驚愕した。大永三年11月10日、宇都宮忠綱は現栃木市の皆川城城主皆川宗成を滅ぼすべく兵を向けた。皆川側はこれを現東武線合戦場駅付近で迎え撃った(河原田合戦)。同族の→