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返信先:@nanashi849私は環境学関係の分野におりまして、江戸文化や文学とは縁もゆかりもなく😅ですが明治以降の歴史資料を地道に探すようなことをしていたので、身についた資料収集能力が執筆の役に立っているなと実感しております…💪📚
7月6日はアレクセイ・ミハイロヴィッチ・レーミゾフの誕生日(1877)。ロシアのモダニスト作家。モスクワ生まれ。ロシアの民俗に根ざした作品を書いた。これらをまとめた異色短編集『小悪魔』(国書刊行会)がある。また文学とは別に、ロシアの中世芸術を復活させる為に書道家も努めた。 pic.twitter.com/cojqSyZwNN
川端康成著「みずうみ」高校教師である主人公と、彼が魅せられた二人の女性をめぐる物語。いわゆる川端文学とは趣を異にする作品。解説の角田光代さんの「無意識から湧き上がる、この世のどこにもない光景を、そっくりそのまま、私たち読み手自身が見たかのように見せ」という指摘はなるほどと思った。 pic.twitter.com/Ibq23m5rFk
文学とは 自分の主張を正当化する物 敗者の物 負けた時の物 全ての人間の物 って言われてどゆこと?って思ったら太宰の研究者だった大学の先生がそう言ってたって言われてそれ太宰がそういう人だっただけでは?と思ったけど誰しも人は負ける時があるし都合よく信じたくなるしそういう事!と言われても
写本等中世から残っている物を実際に見たり扱ったりする研究って文学とはまた別とされている気がするし費用もバカにならないけどもうそういう境界無くして欲しい 鎧を着て暴れたいし、馬に乗って剣を振り回したいし、中世のレシピで料理やお菓子を作りたいし、中世のインクとペンで何か書いてみたい
出会いの偶然、別れの必然。|古賀史健 @fumiken #note “ここに描かれる悪徳は、「卑劣なぼくだけの秘密」ではなく、誰もが認める公然の真理なのだ。文学とは、あるいは世界とは、「これ」を認めるほどの包容力を持った場所なのだ——。” note.com/fumiken/n/n200…
「文学」を強調したいのか知らんが、近年はオシャレZINEなどが多数出品され、文学とは。となってきている一面もある。もはやグッズのないコミティアというべきか。そのグッズ販売のみの出店もちらほら見られるので、「文学」を売る場として周知されず、ただの同人誌イベントと思われている節もある。
文学とは、どうしようもない人間が己を極限まで追い詰めたところで胡麻油を搾り取るが如くして出来上がるもの、なんてどっかで聴いたような。でも挫折を経て出来上がる作品て何かしら屈折してしまうのよな。そここそが味なのかもしれんのだけども。 x.com/AOIKEN72/statu…
若人はみな「自分は天才に違いない!」と信じるから創作を始めるんだけど、創作経験を積んで、自分が天才どころか才能の欠片もないゴミクズである、と理解して、それでもまだ創りたいから私は創るのだ!となってからが本番。
難しかったけど 「読者は面白さを求めるが、作者は読者を面白がらせようとしてはならないのである」 「すぐれた文学とは、われわれを感動せしめ、その感動を経験したあとでは、われわれが自分を何か変革されたものとして感ぜずにはおられないような文学作品だ」 など印象に残る文も多かった
文学とは 「女とは〜」とベラベラ語 りながら そのくせ目前の他者(女) のことはほとんど捉え損ねていて そ の理解不能な部分を ときに非合理的 だと貶め ときに聖母になぞらえて神 秘化し なんとか自らの解釈のうちに 抑え込もうとする 男たちの涙ぐまし い(または浅ましい)努力の結晶です
その時代に、「文学とは何ぞや」といふ、私の頭に萌してゐた質問に答へてくれたものは、內田不知庵氏の「文学一斑」であつた。理屈の臚列ではなくつて、趣味に富んだもので、私は幾度も読んだ。文学の威力が説かれてあつた。 『魯庵氏の思ひ出す人々』
ファンタジー小説の『本好きの下剋上』をコロナ禍の2020年に知ったけれど、長編のため全部は読めないうちに3年経って、どこを読んだのかあやふやになってしまった。 最初から第二部までは連続で読めていた。 小説は文学で、文学とは‘文字によって表現された芸術’だそうで。 w.atwiki.jp/booklove/pages…
文学が「制度」である、という前提から「文学とは文学である」というトートロジーが意味がないように、「制度」である、その前提からそれ以上の踏み込んだ書き手の意識、短編・長編の構成、純文学とエンタメと区分けしつつも、立ち現れる文学なるものを「制度」から、それ以上に炙り出そうとしている
2013.05.11 Sat 文学とは(13) おひるねごろにゃんとう ohirunegoronyantou.blog.fc2.com/blog-entry-242… えんせんせいのファンタジーは ルージュを引いた子供みたいな感じですかね 一生懸命 背伸びしてる感じ はるちゃんが そう言ってましたよ
2013.05.11 Sat 文学とは(12) おひるねごろにゃんとう ohirunegoronyantou.blog.fc2.com/blog-entry-242… それでですよ もし大作家さん達が 今までの視点やフィルターで ファンタジー書こうとしますとね 子供服着た おじいさんおばあさんみたいになるんですよ
2013.05.11 Sat 文学とは(11) おひるねごろにゃんとう ohirunegoronyantou.blog.fc2.com/blog-entry-242… ぴゅあな想いから ファンタジー 目線 変えないといけませんよ
2013.05.11 Sat 文学とは(10) おひるねごろにゃんとう ohirunegoronyantou.blog.fc2.com/blog-entry-242… それは子供が引き込まれる雰囲気とは違うんですよ 子供が引き込まれる作品は 妄想を前面に出しながらベビーの雰囲気がある ゲームや アニメ ラノベ 漫画 夢と現実が融合されたような あっち系なんですよ
2013.05.11 Sat 文学とは(9) おひるねごろにゃんとう ohirunegoronyantou.blog.fc2.com/blog-entry-242… 文壇の作家さん達は 多くの場合 遊女のコードを使って 表情や心を詳細に見た視点で 作品を書いてたことが多いんですけどね 大人の男性なら今までは引き込めてたんですけど
2013.05.11 Sat 文学とは(8) おひるねごろにゃんとう ohirunegoronyantou.blog.fc2.com/blog-entry-242… 最後にですよ 今文学作家がファンタジー目指してますけどね 構図的な文学作品を作るコードと ファンタジーを書くコードって違うんですよ
2013.05.11 Sat 文学とは(7) おひるねごろにゃんとう ohirunegoronyantou.blog.fc2.com/blog-entry-242… 伝統的形式的な作品が 淘汰されていって 自由な表現方法になっていく それが文字で表現する作品の未来なんですよ えんせんせいは それを見たのです 預言ですよ 預言
2013.05.11 Sat 文学とは(6) おひるねごろにゃんとう ohirunegoronyantou.blog.fc2.com/blog-entry-242… それでですよ これから文学作品の変わりに 物語の時代 ファンタジーや 個人の日記 想いを文字で表現したもの 文字と絵でも良いんですけど そういう作品に どんどん想いが集まってくんですよ
2013.05.11 Sat 文学とは(5) おひるねごろにゃんとう ohirunegoronyantou.blog.fc2.com/blog-entry-242… 句読点や かぎカッコ書式や 表現方法も ある程度決まってたじゃないですか? 文学作品に 絵文字顔文字とか出てきませんよね? それは自由な表現方法じゃないってことなんですよ
2013.05.11 Sat 文学とは(4) おひるねごろにゃんとう ohirunegoronyantou.blog.fc2.com/blog-entry-242… だって 既存の文学作品って 構図と型に当てはめすぎじゃないですか?
2013.05.11 Sat 文学とは(3) おひるねごろにゃんとう ohirunegoronyantou.blog.fc2.com/blog-entry-242… ってタイトルで えらそーに 書いてみましたけどね 知ってますか? 文学作品って もうすぐ無くなるんですよ
2013.05.11 Sat 文学とは(2) おひるねごろにゃんとう ohirunegoronyantou.blog.fc2.com/blog-entry-242… でも 想ったんですけど 今文学やってる人たちって ファンタジーがこれから来ると想って ファンタジーに鞍替えしようとしてますよね ジブリは 逆やってますけど 大丈夫ですか? 退化してるんでしょうか?
2013.05.11 Sat 文学とは(1) おひるねごろにゃんとう ohirunegoronyantou.blog.fc2.com/blog-entry-242… メニュー 「 文学とは 」 かたりて えんせんせい そういえば ジブリの最新作 文学作品みたいですけどね
そう思って、青猫とか照龍や"リアル"や、ポセイドンについてみればわかる……というとAM民にも緩くヒントがある。良心的なこと。わたしについては「ゲームのロールプレイは文学」とは、RSか、少なくとも電子海の頃からいってる
「書くとは、言語を手段として私が企てた発見[開示]を客観的な存在にしてくれるように、読者に呼びかけることである。〔……〕作者は、読者の自由に呼びかけて、読者が自由に作品の制作に参加することを求めるのである」 (加藤周一・白井健三郎・海老坂武訳『文学とは何か』p. 55-56)
【1F】『源氏物語』フェア開催中✨古典文学コーナー併設👘 💡7月のオススメ本は“古典文学”です💡 大河ドラマ「光る君へ」も第二十六回まで放送されましたね✨ この夏は、“古典文学とは何か?どんなものがあるのだろう?🤔”という観点から、学び直すのも良いのではないでしょうか😊?… pic.twitter.com/8OO3USYAW2
【1F】『源氏物語』フェア開催中✨古典文学コーナー併設👘 💡7月のオススメ本は“古典文学”です💡 大河ドラマ「光る君へ」も第二十六回まで放送されましたね✨ この夏は、“古典文学とは何か?どんなものがあるのだろう?🤔”という観点から、学び直すのも良いのではないでしょうか😊?… pic.twitter.com/aXIHsktkxi
これは児童文学とは何か、という問題にも繋がるので、自分の中でも整理したい。一般にこのイメージは強すぎて壊すのが難しく、私があの場で何が言いたかったのか、人によっては伝わっていないのだろう。でも、反応を返してくれた方の中にはこのことをしっかりと感受してくれた人が多くいるのも事実だ。 x.com/xxanemicoxx/st…
大人になること、結婚すること、夫婦や家族になること、出産すること。成長や成熟をめぐるそうした分かりやすい社会的機会には常に “outgrowing”(成長し別物になること)のイメージが付き纏い、その枠組みのなかで大いに単純化される。だから、そこにある連続性や多層性が無視されやすい。
最近の文学フリマの出品物を見ていると、ZINEとか写真集とかが大量にあって、「文学とは」と謎になるなど。なんか、漫画じゃない一次創作ならOKみたいになってるの、気になる。いや、本人が文学だと思うものなら出品OKなので、文学だと思うんだったらいいんだけど。
#かなたんロードショー おつかなた💫 最初の頃から比べると、とてもダークファンタジーな雰囲気なハリポタ。 次回で完結らしいけど、どう逆転するんや?なくらい追い詰められてるね。 これは続きが気になる。 しかし、児童文学とは・・・? 最後までかなたんと一緒に見るときめたハリポタ。 次が最後!