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磐井の乱とか岩戸山古墳の地名流してたタイプの人かな…?特殊読みと言えばそうだから 想愛ちゃんの事故って数年前あったよなってググッたら、2016年の事だそうで…同じ、星野川で きついなぁ… x.com/takeuke/status…
この八女の話題福岡では夕方のニュースで出てたんだけど全国ではそんなに情報に時間がかかるのかなと思いました まあ、台風や地震、オリンピックとビックな話題がある中であれを滑り込ませるのは急遽は急遽だったと思うけどね 珍しいんだよね八女での事故って星野川でも聞いたことない x.com/takeuke/status…
返信先:@kodaipress他1人岩戸山古墳に行ってきました。交流館の展示もゆっくり見学できてとてもよかったです。とても暑かったので、別区などは見ましたが、外に長く滞在できなかったのが残念でした。
猿大海 奏言。 有女神、名曰八神女津媛。 常居山中、奉齋於大神。 由此皇后以八大夫。 八美女奉齋。 自神主仍相傳也。 八神女津媛 山中 常居 八女 岩戸山古墳 pic.x.com/stmye7bv2v
8.10 ある方のブログを読んでいたら… w(°o°)w 岩戸山古墳(住所:八女市吉田)に ⛩️吉田大明神 祭神 (おそらく)磐井 神紋はナ、ナ、ナント!【三階松】 高良宮下宮 ⛩️幸神社 祭神 孝元天皇 神紋 【三階松】 (写真向かって右) 大(意富?)毘古命の五世孫らしい筑竺の君石井(イハヰ)🧩 pic.x.com/olwoi8nvgq
だいたい8時28分(はにわ)をおしらせします。 磐井の乱1500年記念事業が立ち上がっているーーー!ロゴ、キャラクターや劇の脚本募集のようです。他にも続々イベントあるのかな?岩戸山古墳から目が離せません。 #はにわ時報 #古墳 city.yame.fukuoka.jp/iwatoyama/1172…
返信先:@marchiko95岩戸山古墳築造時、古墳の上に2体並んでいたのでは?という説を聞いたことがあります。ペーパークラフトで2体並べることができますよーっっ |世界に広げよう、石人ペーパークラフトの輪【おうちde古代】 kodaipress.jp/sekijinp
里帰り展示… 東京国立博物館に単身赴任中の石人さん、ちょっとでいいから岩戸山古墳に帰ってこないかなぁ。 相方と並んでいる様子をみたいです。 #コマラジ #古墳にコーフン pic.twitter.com/vvfytJncml
8/1(木) 葉月いよいよ夏本番に入りましたぁー サルスベリ ピンクの鮮やかな色で可憐 花言葉(おしゃべりを連想させる。饒舌 💕あなたを信じる)と言われるそう… 癒される色です『岩戸山古墳にて』 今日もお客様のご予約をsoleilで お待ちしております。 pic.twitter.com/ipGr64ydOl
『風土記』に描かれる岩戸山古墳ついては別に以下のような問題もあります。 x.com/hyena_no/statu…
返信先:@starview1231他6人@hirabaru46 @hoshisora_c @TweetCat16 @gishigaku 東西と南北が90度違っている例は、実は日本にもあり、『釈日本紀』所引『筑後国風土記』に磐井の墓を 【墓田南北各六十丈、東西各卌丈】 と書きます。実際の岩戸山古墳は東西に長いので90度違っているように思えますが、これは「南と北各々六十丈」と読むべきもののようです。
― なお岩戸山古墳北方約1.1キロメートルの正恵大坪遺跡(八女郡広川町古賀)では、上妻郡衙と見られる遺構が見つかっており、これも『筑後国風土記』逸文に見える上妻県役所の後身に対応するものとして注目されている[6]。 ―
お目休めにGoogleEarthで岩戸山古墳を空撮してみましょう。左手に「岩戸山古墳別区」と表示されているのが、いわゆる「衙頭」で、森貞次郎氏『岩戸山古墳』という小冊子によれば ― 狩場を侵した者が法による懲罰を受けている場面が石造彫刻でつくられているとみられる ― と『風土記』から解説します。 pic.twitter.com/sHHrn7exJ4
返信先:@nemurikappaわざわざ出すまでもない話ですが、 ・畿内を中心とする前方後円墳の全国展開(岩戸山古墳も立派な前方後円墳) ・三角縁神獣鏡の全国的分有関係 ・稲荷山古墳と江田船山古墳から出土した獲加多支鹵大王名 これらの要件に目を向ければ、倭の五王が九州の王権だなどというのは極めて信憑性に乏しい。
返信先:@nemurikappa― つまり、磐井は中国流の「大将軍」を名乗り、「府」を開き(おそらくのちの「太宰府」であろう)、そこを中国風に「衙」と称していたのである。その〝ほとり〟、そこがここ岩戸山古墳だったのである。〈中略〉 ― 「衙頭」の2文字で大将軍自称!かつ、のちの「太宰府」となる府を開いたと!
返信先:@nemurikappa太宰府については1991年4月20日刊『日本古代新史』p160以降で触れていました。『筑後国風土記』岩戸山古墳に別区を称して「衙頭」と表していることを以て、p162では次のように述べます。
福岡の絶対見るべき希少古墳まとめ(王塚古墳/岩戸山古墳/竹原古墳/新原奴山古墳群)Summary of ancient tombs in Fuk... youtu.be/V-FIru75drU?si… @YouTubeより こんなところがあったとは知らなかた #テレビじゃ流れない話
その小山の主は、九州の古代史の象徴と言っていい。大豪族・筑紫君磐井(つくしのきみいわい)。彼が生前に築いたとされる福岡県八女市の岩戸山古墳(国史跡)を訪ねた。 墳丘長約135メートル、北部九州最 ソース: Yahoo!ニュース 埴輪ではなく石像だったというのが鍵。 search.app/UzsUAY2tb1fGJF…
今日は火曜日ですが、休館日です。 7月15日(月)が海の日で開館だったため、1日ずれています。 写真は #今城塚古墳 。 (聞こえなかったことにしてほしいのですが、今城塚古墳に始めて到着した時、岩戸山古墳に似てるなと思ったんですよね。比べるといろいろ盛大に違うのは確かなんですけど) pic.twitter.com/XVjMl9ZpSz
先に「衙」の一文字を以て磐井が南朝梁の大将軍だった(自称?)と書きましたが、途中経過を簡単に説明すれば、「衙」は『釈日本紀』所引『筑後国風土記』に見える磐井の墓、岩戸山古墳の「衙頭」と呼ばれる区画の「衙」なんですね。