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「・・・周囲は、信長の野望に対して危機感を持っていました。 その最たるものが、皇族と公家、幕府側の人間たちでしょう。 信長が革新派だとすれば、いわば守旧派です。そして、その代表が、五摂家筆頭の近衛家の長男である近衛前久でした。・・・」
「戦国に皇軍、来訪す / プロローグ―3」投稿しました! ncode.syosetu.com/n1360fy/1563/ #narou #narouN1360FY もし、自分の死期が予め分かっていたら。 私だったら、取り乱してしまいますが。 近衛前久は覚悟を固めており、心残りが無いように後陽成天皇の譲位をこの世界では強行する事態が起きていました
返信先:@hana11150127私も『麒麟がくる』前様登場前に入院しました 病室には『流浪の戦国貴族 近衛前久』を持ち込んで、どんな風に描かれ演じられるんだろう、と想像しながら読んだものです💓 先の楽しみは闘病の励みになりますよね🌟
○本日の定期イベント合戦 ・05/11 08:00 ~ 11:00 加藤清正の娘 八十姫 ・05/11 12:00 ~ 15:00 智勇の将 三好孫次郎慶興 ・05/11 16:00 ~ 19:00 利休にたずねろ ・05/11 20:00 ~ 23:00 流転の公家 近衛前久 pic.twitter.com/OsphhTevdF
ここに登場している"さき様"こと近衛前久は、「光る君へ」に登場する藤原道長の末裔です。 (摂関家なので当たり前ではありますが) 本郷奏多氏が演じる花山院の憎き敵(かたき)・藤原兼家の末裔である"さき様"をまた本郷奏多氏が演じていたんですねw
藤原道長「御堂関白記」 細川頼有 "錦の御旗" 近衛前久 "血書起請文" 細川幽斎 "古へも 今もかはらぬ 世の中に 心の種を 残す言の葉" 番組はとても勉強になったし面白かったけれど、両家の二人の宰相は‥‥ #英雄たちの選択スペシャル
「それは武田軍を討つためではなく、勝利を確信したうえでの『関東見物』だった(『古今消息集』)。公家の近衛前久が同道していたのは、その証左である」 近衛前久は川中島の戦いの前後、上杉謙信を頼って関東に下向しています。20年後に再び関東を訪れることになるとは思っていなかったでしょうね。
育てていた個体は行成さんに成長しました。三蹟らしく自筆の書ををお持ち。 今期大河の人物か出てくるのは嬉しいのですが、一覧には近衛前久様や西園寺公望公などあるので、時代の幅が大変広いみたいです。これからの除目が楽しみです。 pic.twitter.com/6LqPGpir7W
この程『静岡県地域史研究会報』254号に、拙稿「『家忠日記』の「御家門様」とは誰か」が掲載された。高橋陽介氏の新説である近衛前久説に対して、やはり織田信長とみるべきであるとしたものである。小論ではあるが、いわゆる松平信康事件を考える上で、大事な論点であると考えている。 pic.twitter.com/ppm8vbBqpa
返信先:@Akechi_m_hiroko他1人滝藤さんも特番で 覚慶時代から描かれているので、そこがいいと。 近衛前久と義昭は従兄弟関係という話題になると「えっ、そうなんですか?」と言われ、言い直されていたのが面白かったです!(笑)
『家忠日記』の「御家門様」が近衛前久であるという説がまだ命脈を保っていたのか。 この説に関して、織田信長家臣団研究会の会誌『天下布武』で信長研究家・和田裕弘が「御家門様の謎」という小稿を記している。そこでは、「宗及他会記」を別の切り口から考察し、「御家門様」=信長と推測している。
英雄たちの選択 スペシャル 日本史サバイバル! 近衛家と細川家の戦略 −NHKオンデマンド nhk-ondemand.jp/goods/G2024138… どちらも遺産と血脈が半端無い。花の慶次の近衛前久がかっこいい。細川護煕って浅井長政と市の子孫でもあるしね。、
慶長17年(1612年)5月8日は戦国時代の貴族としては著名な近衛前久(さきひさ)の命日です。 18歳で関白まで出世する一方、織田信長や上杉謙信たちとも積極的に親交を深めた人物。 度胸も、全国を行脚する行動力もある、興味深い人物です。 その生涯を振り返ってみましょう。 bushoojapan.com/bushoo/chotei/…
・995年(長徳元)5月8日 藤原道兼死去 ・1489年(延徳一)5月8日 京都上京で大火、2000戸が焼亡 ・1602年(慶長七)5月8日 家康が佐竹義宜を常陸水戸から出羽久保田へ領地替え ・1612年(慶長十七)5月8日 近衛前久死去 ・1615年(元和一)5月8日 豊臣秀頼と淀殿が自害
返信先:@ryuta06444330あと、義昭が家康を三河守と認めなかったのは、出自というよりは三河守任官が、義昭と敵対関係にあった近衛前久ら(三好・義栄陣営)によって与えられたものだったからというのも大きいかと。
返信先:@bushidoh_sbたしか北条氏綱正室の近衛殿は近衛前久の伯母でしたっけ? 前久が敵味方逆転して身分的に格下の謙信に接近するのはいくら戦国の世とは言っても無節操な… 余程の見返りを期待してたとしか思えない
正解多数👍✨ このえ のぶただ 安土桃山時代から江戸時代初期にかけての公卿。太政大臣・近衛前久の子。官位は従一位・関白、准三宮、左大臣。近衛家18代当主。号は三藐院(さんみゃくいん)。本阿弥光悦・松花堂昭乗とともに「寛永の三筆」とよばれる。ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91…
○本日の定期イベント合戦 ・04/28 08:00 ~ 11:00 相模の姫 早川殿 ・04/28 12:00 ~ 15:00 流転の公家 近衛前久 ・04/28 16:00 ~ 19:00 不死身!馬場信春 ・04/28 20:00 ~ 23:00 くの一 初芽局 pic.twitter.com/4Azfsbo6pO
正解多数👍✨ しょうかどう しょうじょう 江戸時代初期の真言宗の僧侶、文化人。堺の出身。 書道、絵画、茶道に堪能で、特に能書家として高名であり、書を近衛前久に学び、大師流や定家流も学び独自の松花堂流という書風を編み出した。「寛永の三筆」のひとり…ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE…
昨日は国立公文書館の友の会向け展示解説会へ…光る君へをより楽しく観れそうです😁 皆大好き小右記と時代的には稀な源氏物語女性研究者の注釈書「花屋抄」。こちらを記した花屋玉栄様はやはり皆大好き近衛前久様の姉君とのこと 頭の中で勝手に本郷奏多君湧いてきちゃいましたよ😆 pic.twitter.com/67JsHrfnBr