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① 共産党の袴田里見副委員長(戦前最後の中央委員)の除名公表は1978年1月4日。「朝日ジャーナル」は、その16日後に河合秀和・学習院大教授と上田耕一郎さんの対談を行った。その内容は46年後のいまでも意義を持っている。興味深いのは論点が変わっていないことだ。両者のやり取りが面白い。 pic.twitter.com/tdprEBqq8c
『文藝春秋』は共産党の反論を認めて、同じ分量(原稿用紙170枚、51ページ)ではなかったものの、34ページの反論文を載せ、さらに次号で「グループ1984年」が28ページで反論、さらに次号で最後に上田耕一郎、工藤晃再反論を27ページ掲載した。読者の知的興奮を呼ぶ論争の時代があった。
欧陽菲菲の「雨の御堂筋」が流行ったのは70年安保の佐藤訪米阻止闘争の頃だった。 僕は高2で、朝日ジャーナルの「雨のミトースジ考察」とかいうコラムを読んだのを覚えている。 カチコチの朝日ジャーナルに載っていたからであって、プレイボーイや平凡パンチなら覚えていないだろう。 雨のアジサイ。 pic.twitter.com/fAADqgJ5PQ
竹中労さんの雑誌での「たま」発言ではこれも印象深いです。 1991年の音楽シーンを予想する中で、時代は「たま」とおっしゃっています。 (「朝日ジャーナル」1991年1月11日号より) pic.twitter.com/OstYEKPNj0
『「たま」という船に乗っていた らんちう編』の前半で強い印象を残す人物の一人が竹中労さん。雑誌「噂の真相」の連載コラムで「一過性に終わらない歌、いやたとえ終わろうと永遠な歌、「たま」にぼくは熱中している」(「噂の真相」1990年7月号)と「たま」愛を語っておられたのを思い出します。
先日、フランスから里帰りをした岸恵子さんに、「パリへとり寄せる週刊、雑誌はなにがいいかしら?」と聞かれて、「週刊朝日と朝日ジャーナル、そして太陽」と答えた。 amzn.to/44XMmUn pic.twitter.com/pOGlogK7tG
♪32年前に見たものを話せ 「朝日ジャーナル」(1992年5月) 編集者の仕事でしょ みゆきさん憧れの職業、編集者。 物語を1行で表す、その手腕に💕 タイトルは編集者とは何かを教えてくれた言葉だけど その質を担保できてるかと問う言葉にも読め このエッセイ担当編集の心中やいかに😅 #中島みゆき pic.twitter.com/nzmkqWJPBi
訂正ポスト 朝日ジャーナル 若者たちの神々 シリーズ 第3回 藤原新也 単行本に収載、文庫に未収載 (全51回連載で藤原新也と村上春樹の二名が文庫に未収録) 失礼いたしました🙇 pic.twitter.com/RllOEt40OH
ふと彼の人生を俯瞰してみた。反安保、荒れ狂う海を渡ってまだ本土でない沖縄で闘争する学生時代。卒業後しがない実家の役場勤め、プチブル的家族を持つ。今や後期高齢者、残り僅かな余生を学生時代を思い出しながら、左翼ツイートを叩く。老眼鏡から探すが、朝日ジャーナルはこの世にはもうない。 pic.twitter.com/Mcz67pAPz2
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