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『日本書紀』 日本府に関する記事のほとんどは、百済王と加羅諸国の首長層と任那日本府の官人たちとが加羅のあり方について協議するもの ✴︎伽耶とは加羅諸国、1世紀から6世紀中頃にかけて朝鮮半島の中南部において洛東江流域を中心として散在していた小国々 ↑インドから嫁いだ姫君の国の一つ pic.twitter.com/ehPo49Qvbn
授業の一環で近つ飛鳥博物館企画展「四天王寺と古代王権」を見学し講演会にも参加。瓦から四天王寺がどのような権力と関係を結んできたかがみえる展示。7世紀後半における百済王氏、聖武天皇、嵯峨朝における橘氏とかとの密接な関係がうかがえるというところがおもしろかったです。 pic.twitter.com/PBKxjlXbIN
武寧王陵 #韓国・公州 百済王である武寧王(462-523年)は、日本書紀記述の日本生まれの嶋王とされる。 武寧王陵は、未盗掘で、墓誌から埋葬者が特定された。 王と王妃の木棺は、日本のコウヤマキ(高野槙)を使用していることがわかっている。 大和王権と百済の交流や関係は興味深い。 #世界遺産 pic.twitter.com/Z9o46KaNrO
『最初の仏像』 日本に仏教が公式 に伝えられたのは 欽明天皇の時代、 百済王が仏像や経典を天皇に献納 その仏像を蘇我馬子の父、蘇我稲目が仏像を賜り小墾田(おはりだ)の自宅 に安置し寺とした 一説にはその仏像 こそ今の善光寺の本尊阿弥陀如来とも伝わるようだ pic.twitter.com/hW6FpenXXs
大阪枚方で400年続く名家で大地主なら何かしら名前が残ってそうだけど何も見当たらない松浦さん🙄 400年前頃からの枚方の領主と関わりがあるのかな…とGoogle先生を漁る。 まず【百済王の末裔】を自称する本多氏 (大阪夏の陣で滅亡) pic.twitter.com/ceQDdeelPr
返信先:@NyanNyanRyu1他1人これは❓ 桓武天皇の母は、百済系渡来人の血統である 「百済王等は朕が外戚なり」と発言していたと伝えられ、それまでの天皇とは異なる血統であることを、強く自覚していた… 滅ぼされた百済の王族は日本にのがれ、百済王(くだらのこにきし)の姓を賜った 🇯🇵百済復興を目指す『白村江の戦い』惨敗 pic.twitter.com/4qJB7YjH1Y
百済王神社に行ってきました〜⛩️ 【百済】 ▶︎「くだら」と読むか「ペクチェ」って読むかでその人の年齢層だいたいわかる説💭 #ネテルダイヤ #あえら組 pic.twitter.com/ddGco7cADb
返信先:@LWorkes他1人桓武天皇の母は百済王の子孫? 桓武天皇の母は、百済系渡来人の血統である「高野新笠」(たかのにいがさ)で、百済王の子孫とされている人物 桓武天皇自身も「百済王等は朕が外戚なり」と発言していたと伝えられており、それまでの天皇とは異なる血統であることを、強く自覚していたことが分かります pic.twitter.com/PBpbHf9wBI
【KUCKS歴史講座2024ー日本列島の渡来人と渡来文化Part 3ーのご案内】 ■タイトル「百済王らは朕の外戚なり-桓武天皇と渡来人の母-」 ■講師:井上満郎先生(京都産業大学名誉教授) ■日時:6月8日(土) 14-16時(受付13:15より開始) ■参加方法:①会場参加、②後日オンライン視聴(1/4) pic.twitter.com/BRmkDNSv7j
みんぱく『日本の仮面』。デザイン、由来、使用方法、取れなくなったときの対処法まで仮面の魅力に耽溺できる特別展。人と神、日常と非日常。分けるのか繋ぐのか。顔とは一体なんぞ。心躍る特別展でした。新羅王と百済王の大きさが興味深かった。そして「スペル・デルフィン氏蔵」の充実っぷりよw pic.twitter.com/G5Eh3P8O72
安曇氏には白村江の戦いにて百済王・豊璋を百済まで護送、救援し王位につかせた阿曇比羅夫がおり、この比羅夫が白村江で戦死した命日に毎年お祭りをするそうです。 そこで登場する山車は大きな船の形をしており、海の一族の記憶を今に繋げているそうです。 pic.twitter.com/yCjylJe8My