- すべて
- 画像・動画
並べ替え:新着順
珍しく外したなー、と思って駅に向かってたら、ふと目に止まった「毘」の文字と種子島焼酎。 なんか気になって入ったら当たりの店だった。 アテは150〜400円くらい。珍しい種子島の焼酎もたくさん。飲んだのは久耀と鉄砲伝来。うまい。 まだまだあったので日本橋の通う店に認定。 pic.twitter.com/pTSGj1A74N
琉球大学Robotサークルは種子島ロケットコンテストに向けて部内ロケット講習会を行いました! いざ行かん鉄砲伝来の地へ‼︎ #琉球大学 #琉球大学Robotサークル #種子島ロケットコンテスト pic.twitter.com/zAabpDb0W0
【悲報】種子島時堯さん、ポルトガル人にボッタクられて鉄砲2丁を2億円で購入してしまう・・・ world-study.jp/archives/21124 pic.twitter.com/ZQ1EMPTw9H
確かに南蛮船が漂着して鉄砲が伝来し火縄銃は種子島(タネガシマ)と呼ばれる様になった。 だが! 漂着先が口永良部島(クチノエラブジマ)であった可能性は限りなく高い。 となれば恐らくタネガシマなどとは呼ばれずクチノエラブジマと呼ばれたに相違ない。 きっと言いづらいからタネガシマの如く(続) pic.twitter.com/lwqOdUxc7b
6/7 リザルト フェリー ¥2200 昼食 ¥1200 種子島鉄砲館 ¥440 食材 ¥1500 温泉 ¥350 総走行距離142km 合計 ¥5690 種子島は生憎の雨なので鹿児島へ 帰投します pic.twitter.com/zYpw2C6e1I
1543~【鉄砲伝来と織田政権】1543年種子島に漂着した倭寇の船に乗っていたポルトガル商人が2 丁の火縄銃を売却。同島の他、堺、国友(近江)、根来(近江)などで大量生産がはじまる。織田信長は鉄砲、大砲を用いて台頭。73年室町幕府を滅ぼし近畿・中部地方を制覇。 pic.twitter.com/zmlJsRKlUZ
伊万里から種子島へ。午前中に到着。沖アンカー🔱初の種子島。船からは綺麗な建物が観えたのでGoogleマップで調べたらペンションでした。鉄砲とロケット🚀のイメージでしたが観光地もいくつかあり、レンタサイクル、レンタルバイクもあるらしいので観光で来たいです。 pic.twitter.com/EXLbcV3Fax
2024年6月2日2時2分毎日新聞 わたしのふるさと便 長野県 お国トリビア 低温度の風土で 花火王国🎆🎇🧨 長野の花火は日本一🧨🎆🎇 信濃毎日新聞(信毎) 種子島の鉄砲伝来 徳川幕府の火薬製造地 平和利用 長野えびす講煙火大会 出世花火 長野五輪 紅屋青木煙火店 pic.twitter.com/mIg79buu3s
鉄砲鍛冶屋敷で「種子島」の学びを(笑) 「太鼓の達人」形式の鍛冶体験は「平鍛冶」でした、なんやら悔しいw 「堺は建て倒れ」という言葉を教えてもらいましたが、建築当時の梁の立派さに圧倒されました。 鉄砲売買のやりとりがきちんと残っていて、記録媒体としての紙と墨の優秀を改めて感じました pic.twitter.com/jcnk4ypwqU
ワンピースに元ロックス海賊団の王直っているけど元ネタの明時代の倭寇の頭目、王直って種子島の鉄砲伝来に関与してたらしいな。 彼の船に乗ってたポルトガル人が鉄砲を伝来したらしい。 そんで日本人が中国に彼の墓を建てたけど『売国奴』って事で破壊されたって記事みたがまだそういう評価なんか? pic.twitter.com/U8mLg8yHET
鉄砲伝来の地。 1543年、種子島最南端の門倉岬あたりにポルトガル人が台風で漂流した。船の形も乗組員の容姿もすべて異様で、船に近づこうとすると鉄砲を撃ち放たれて村人たちは騒然となった、と説明にある。 緊迫感とともに新しい扉が開いた場所。 pic.twitter.com/YGCRZLCkFv
#今日は何の日 今日は #花火の日 🎆✨ 花火の歴史は紀元前に遡り、日本では種子島の鉄砲に使われた火薬が花火へと発展! その後、徳川家康が初めて花火を観賞したといわれています。 家康が見たのは竹筒に火薬を詰めて火を噴くだけのものでしたが、三河地方に残る「手筒花火」はこの名残なんです🎇 pic.twitter.com/BGVRAsR9UP
【かと散歩】 2024年5月27日 19:00公開 鹿児島県西之表市を散策!! 香桃マサアキが全国792市を散歩!! youtu.be/DHoQobBjmiQ キャンピングカーツアーの予定はこちら lit.link/roadshow 西之表市 種子島開発総合センター 種子島時尭 鉄砲館 イリオモテヤマネコ… pic.twitter.com/PyFV5iQKGP
歴史探求家、#内藤克彦 氏の「#本当に強かった日本」 種子島に鉄砲が伝えられたのは1543年 #戦国日本 では直ちに鉄砲の量産が始まりました 当時の鍛造銃砲は高性能で、イタリア商人は「#世界最大の武器供給国」と記録しました zakzak.co.jp/article/202405… pic.twitter.com/Kbv4imhuXp
オート各項目の遠征先を確認していたら鉄砲練兵所で大隅半島に向かった!! 遂に鹿児島本土へ上陸!! ……はヨシとして、屋久島と種子島は鹿児島沖縄間の遠征ルートには関係ないん? 三島村を制圧した時点で大隅半島への道は開けてたん??? 島から島への遠征……謎が深い(@ω@) pic.twitter.com/FNM3tUVNjS
[ポルトガル取材記] リスボンの建築物、地下鉄、様々なところにタイル装飾があり全て職人による手作業で出来ています。 ポルトガルから種子島に鉄砲が伝来し私の先祖が國友鉄砲(火縄銃)の製作を始めたので、大航海時代の歴史と自身の繋がり僅かながらに感じることができました。 pic.twitter.com/kPrgEFAko7
1543年種子島における#鉄砲 伝来は戦国時代の武士たちに大きな影響を与えました。ポルトガル人から、種子島時堯(ときたか)は鉄砲2丁を購入。家臣に使用方法と製造方法を学ばせました。この鉄砲は「種子島」とも呼ばれ、堺や近江、根来などで製造さたのです。#大阪法律公務員専門学校天王寺校 pic.twitter.com/opIiSJTryt
\本日より開催/ 種子鋏のもののまわり -種子島の鋏と庖丁- 2024年4月25日(木) ~ 5月28日(火) 種子島に鉄砲伝来と共にもたらされた鍛冶技術は、「種子鋏」「種子庖丁」へと形を変え受け継がれてきました。種子鋏の文化や歴史を広く知ってもらうと共に、長く寄り添う日常の道具をお楽しみください。 pic.twitter.com/6D4L9NRmXY
子供日本史 1543に鉄砲伝来してからわずか数年で種子島ではreverse engineering完了、鉄砲合戦 姉川の合戦は1570年。ヴァリニャーノは「日本の軍事力は強大だから征服するのはやめたら」と書状を本国に書き送る。今の自衛隊が発注した武器を米企業が納品するまであと何年かかるのか……えらい違い。 pic.twitter.com/tQ0c4ezo3V
あなたにとって 【種子島】 って「キーワード」で思いつくものは なんですか? / 鉄砲伝来(1543年) ロケット基地 若島津(元大関:奥さんは高田みずえさん) 安納芋 サーフィンの名所(全国5本の指に入るらしい) サーファー移住の地 \ などなど。 ワチキにとって種子島は・・・… pic.twitter.com/qgkT8gOLN3
天文12年(1543年)8月25日、種子島にポルトガル人が「鉄砲」という今までにない新しい武器を持って漂着した。領主種子島時堯は鉄砲2丁を2千両で買い、射撃法や弾薬の作り方を学んだ。「鉄炮記」 日本は戦国時代、国産化された鉄砲の数は6万丁、ヨーロッパ全体の合計をも凌駕する数に達し、軍事大国に。 pic.twitter.com/FZXy2TbkmK
#歴史知らない人が嘘だと思うけど本当の事言え たまに「武士は飛び道具を蔑むから、鉄砲を使わない」とドヤ顔する人がいるが、戦国後期では自ら種子島を操り最前列で射撃戦を行う下級武士は多数いた。 もとより、武士は弓に熟達する者であり、高価な鉄砲は貴人が扱うに相応しい武器でもあったのだ。 pic.twitter.com/KKkkqDAymN