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鳥屋ミサンザイ古墳(身狭桃花鳥坂上陵)。奈良県橿原市鳥屋町字見三才に所在する墳丘長138mの前方後円墳で、6世紀前半の築造とされ、周辺に他に妥当な古墳もないことから、順当な比定と思われます。西方に新沢千塚古墳群。継体天皇紀に引く百済本記の辛亥年(531年)の「又聞、日本天皇及太子皇子、倶… pic.twitter.com/2X1cykutwU
高屋築山古墳(古市高屋丘陵)。羽曳野市古市5丁目に所在する墳丘長122mの前方後円墳で、6世紀前半の築造とされ、河内国古市郡の式内高屋神社が近隣にあって、安閑天皇陵と考えていいと思います。丘陵上にあって、中世には城になってもいます。継体天皇紀に引く百済本記に「又聞、日本天皇及太子皇子、… pic.twitter.com/rWPUkyYbHB
古代史座談会54回目 【磐井わいの乱】 5/29(水) 19:00から @市内某所 出演 岩井わい 527年筑紫の磐井が大和朝廷に敵対して起こした乱。 背景には倭国と朝鮮半島情勢の緊張。倭国は継体天皇即位に伴う大和朝廷の再編。朝鮮半島は百済任那新羅また倭国による朝鮮半島南部の紛争。岩井わいがどうか⁉ pic.twitter.com/OrHkiMzLxs
私的倭国と大陸③ 大陸への交易路を物部氏に抑えられた蘇我氏と、百済に邪魔される新羅。 日本海を挟んだ両勢力が結託したのは当然の流れ。 478年に独裁王雄略天皇が崩御し、その反動で倭国は混乱。 最終的に応神天皇の血を継ぐ、継体天皇を祭祀王として迎え収束を図るも、豪族達の権力闘争は続く…。 pic.twitter.com/fIhvHnw1ia
私的序曲乙巳の変㊳ 天皇と太子と皇子。 つまり、継体天皇と後に即位する安閑、宣化天皇のことを指し、三人が同時に亡くなった、と百済本記が記載、と日本書紀は主張。 真偽はさておき、親新羅派と目される尾張氏の後ろ盾のある三天皇が、百済の歴史書によって滅せられていることが非常に気になる…。 pic.twitter.com/r71w9XFdrm
私的序曲乙巳の変㊲ 翌年528年、磐井の乱は物部氏によって平定。 時流れて、日本書紀の継体天皇崩御記事。崩御年は継体25年(531年)か28年(534年)。 25年とあるのは、辛亥年(531年)、日本の天皇と太子と皇子が同時に亡くなった、と百済本記に記載されているので採用した、と無責任に言い放つ…。 pic.twitter.com/S7vmcS0dxB
私的序曲乙巳の変㉞ 息長氏の地で育ち、尾張氏の妻を持つ継体天皇は、日本海、尾張勢力の期待を背負っていた。 しかし、物部氏の取り仕切る大和朝廷内で徐々にその色に染まっていく。 513年任那(伽耶)の領土を百済に割譲。半島利権を持つ物部氏の政策と愚考するが、これが伽耶国滅亡につながる…。 pic.twitter.com/PVeyzKvloZ