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【古事記の没年と崩年干支】 「雄略天皇」 没年齢 124歳 崩年干支 己巳(489年) …という事は誕生は、西暦365年 雄略天皇の父の… 「允恭天皇」 没年齢 78歳 崩年干支 甲午(454年) …という事は誕生は、西暦376年 あれれ… 雄略天皇は父君の允恭天皇より11年も前に生まれた事になってるぅ〜 pic.twitter.com/Th18CyeeIm
返信先:@Mentalist_DaiGo伊勢神宮 伊勢国 13群 84郷 創建 内宮 垂仁天皇 26年 8 外宮 雄略天皇 22年 4 垂仁天皇 11代目天皇 雄略天皇 21代目天皇 最強のフュージョン 11代目 21代目 指原莉乃さん 11月21日 古代の天皇陛下で遊んだらダメだよ😅 pic.twitter.com/iPKfPQ5RLU
おはようございます☀ 小松の織物の歴史は深く、加賀絹の発祥地といわれる小松産地は、4世紀(古墳時代)の雄略天皇時代に香桑と製織技術を習得し、天皇家へ奉献。室町時代に将軍足利氏へ献上したことから加賀絹の名声が高まりました。 #歴史 #写真 #企業公式つぶやき部 pic.twitter.com/b2Rogmjabh
国宝 稲荷山古墳出土鉄剣⚔️ 銘文の中にある「ワカタケル大王(雄略天皇?)」の名前や「辛亥の年(471年?)」という記載から、当時の大王の勢力が広範囲に及んでいたことが明らかになった画期的な出土品✨ 現在は博物館内でレプリカを見る事が出来ます🙂 #金錯銘鉄剣 #稲荷山古墳 #さきたま古墳群 pic.twitter.com/eqMHYTrPAZ
ちなみにキービジュ(仮)のキャラは、日本史上の人物と言えばと言う視点で勝手に選定させて貰ってます。 左から西郷隆盛、北条政子、織田信長、藤原道長、推古天皇、雄略天皇です。 時代考証的にはツッコミどころあるとおもいますが、イメージにあってるかどうか…😅 #日本史 pic.twitter.com/FjWZcpnTYH
岡ミサンザイ古墳。世界遺産。仲哀天皇陵に治定されていますが、時代が合いません。津堂城山古墳の方が仲哀天皇の真陵(延喜式の恵我長野西陵)でしょう。それでは誰のミササギ(陵)かと言われれば、古市古墳群最後の大陵とされ、年代的には雄略天皇の真陵(丹比高鷲原陵)だと思います。問題は岡ミサ… pic.twitter.com/0hqaSM356p
金 波鎭漢 紀武(こむ はちむかむ きむ)って、 검 하친간 김?(適当 正解あった。김파진한기무(金波鎭漢紀武) きむ ぱちんはん きむ、だな。 ko.wikipedia.org/wiki/%EA%B9%80… ところでDeepLはたまに謎の学習間違いあるよね。 雄略天皇(第21代)は允恭天皇(第19代)の第五子だし、年代も滅茶苦茶だ。 pic.twitter.com/z8PzQmH41K
【熊本県北部説「江田船山古墳」4:邪馬台国北部九州説】 倭の五王の一人であるワカタケル大王(雄略天皇)の名が刻まれた銀錯銘大刀が熊本、金錯銘鉄剣が埼玉(稲荷山古墳)から出土したため、この時代に広域の統一王朝が成立していたことがわかります。#金錯銘鉄剣 pic.twitter.com/spDdUguZFl
【熊本県北部説「江田船山古墳」3:邪馬台国北部九州説】 銀錯銘大刀には、銀象嵌により「魚と鳥」と「馬と花」が描かれており、太刀の棟には「ワカタケル大王(雄略天皇)の時代にムリテが文書を司る役所に仕えていた。~」と書かれています。 #銀錯銘大刀 pic.twitter.com/Xls0lWN8VB
湯島天満宮 東京都文京区にある湯島天満宮を参拝。湯島天満宮は458年に雄略天皇の勅命により天之手力雄命を祀る神社として創建されました。そして1355年に住民の請願により菅原道真公を勧請して合祀しました。菅原道真公を祀っている神社には天神様の使いとされる臥せ牛が祀られています。 #湯島天満宮 pic.twitter.com/dXIYQYBm5J
なぜ、巨大古墳は堺市周辺に集中しているのかの章では、ヤマト王権が成立した4世紀の文献はないが、5世紀になるとヤマト王権は外交を活発化し、「宋書」には、「倭の五王」と呼ばれる倭国の5人の大王についての記述がある。これは17代履中天皇から21代の雄略天皇までのいずれかと想定されている。 pic.twitter.com/vR1QuragcR
ブライアン・ウィルソン『スマイル』(2004年)をようやく初めて聴きました😊 リリース当時、話題になっていたものの最も有名な未発表アルバム伝説を知ってからまだ年月が浅く、もう少し幻は幻のままにしておきたい心理が働き、そのまま(雄略天皇ほどではないにせよw)すっかり忘れていたんだった。 pic.twitter.com/kE758TYE2P
返信先:@u_u20l他1人女系で繋がってるよ。ダンケーばっかり追ってるから、見えてないだけ。 春日大娘皇女:雄略天皇皇女、仁賢天皇皇后、武烈天皇・橘仲皇女(宣化天皇皇后)・手白髪皇女母 手白髪皇女:仁賢天皇皇女、継体天皇皇后、欽明天皇母 吉備姫王:欽明天皇孫、皇極天皇・孝徳天皇母 pic.twitter.com/OWIDOdm1wr
坂上寺② その後衰退したのか寛永九(1632)年明石藩主小笠原忠真夫人が再興した という 『明石名勝古事談』では、この場所は赤浦鉄人の屋敷があったとされ、旅人を襲ったり船の積荷を奪ったりしていた これを雄略天皇の命で小野太樹が館を取り囲み討ち取ったとされる pic.twitter.com/LWUVGgk8IN
今日は大安です。 候は「蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)」。蚕が桑の葉を食べ始める頃です。 すでに『日本書紀』には、雄略天皇が「后妃をして親ら桑こかしめて蚕の事を勧めむと欲す」と養蚕を促した記載があります。 花言葉は「彼女の全てが好き」。 「桑の実の紅しづかなる高嶺かな」飯田龍太 pic.twitter.com/UlHTqtkKBj
返信先:@381BudZdIR40546他2人ちなみに現皇室は考古学的に実在が証明されている最古の天皇・雄略天皇とは女系でしかつながらない また史上最も名君とされている仁徳天皇とも、女系でしか繋がらない 天照大神とも、女系でしか繋がらない(天照が女性だから) 誇らしい世界最古の文明国・日本 pic.twitter.com/Y8WpTIXq1R
万葉集の冒頭は、春の予祝儀礼を模した雄略天皇の歌。 全20巻のラストは、大伴家持の歌「新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事」 雪は「稲の花」で新春に降るのは豊年の瑞兆。この歌は念願は成就するとハッピー感満載で新年を言祝ぐ。 このように『万葉集』は予祝で始まり予祝で終わる。 pic.twitter.com/vXKJG0Xpyt
辛國神社(からくにじんじゃ) 大阪府藤井寺市 饒速日命(にぎはやひのみこと)を祀る式内社、葛井寺の近くにあります。 約1500年前の雄略天皇の時代にこの地方を治めていた物部氏が祖神を祀って神社を創設したのが始まりだそうです。 pic.twitter.com/YOGZMbdDX4
返信先:@saisyokukenvi以前、日本の犬の歴史の本を読んだのですが、天皇家ではチン(写真)という種類を飼っていたことが多かったようですね 古事記では雄略天皇が若日下部王に求婚する時の手土産として白い犬を持って行きました😌 それにしても島流しにイジメ😢なんてお可哀想😭 生きて帰ってこれたのは救いでしたね😔 pic.twitter.com/rHBnaHieQj
『土俵の上には女は立たない。』も明治時代からなんですわ。 『日本書紀』にも「雄略天皇が采女をふんどし姿にして相撲を取らせた」と書いてあるんですけどね。 ネトウヨの諸君ってほんと知ったかぶりしかできないのね。 ┐( -"-)┌ yomiuri.co.jp/column/japanes… pic.twitter.com/aIJjV2RmW9
返信先:@t0keta_noodle世間体とかじゃなくて伝統の継承ですよね。 『土俵の上には女は立たない。』と似てます。(もっと大事ですが) 1100年以上の歴史を、私たちの人気投票で変更させるなんて傲慢だって話です。
最初のところで「雄略天皇」の子孫の男大迹王が継体天皇となりと大きな間違いをしており、それだけでどれだけ正しい認識で作成された動画か訝しんでしまった。作り直してね。 【歴史解説】天下人!なぜ天皇を潰さなかった?潰せなかった?【MONONOFU物語】 youtu.be/dx4nUEfD-E0?si…
参道に独自の由緒が掲示してあり、春日部は「雄略天皇の487年に朝廷の属地となり皇女春日大娘の名を冠した地」、神社由緒は「春日部氏屋敷があり屋敷神として伏見稲荷大社を勧請した」と説明しています。北には浜川戸砂丘のもう一つの丘があり浅間社が祀られています。 #稲荷神社 #粕壁宿 #春日部氏 pic.twitter.com/WFqpQaNRSO
#あなたのご先祖様教えて下さい 太祖は葛城長柄襲津彦といふ。 雄略天皇の御世に天皇に疎まれ、祭神一言主大神に代わって土佐に流された。 その後幾星霜、戦国の時代に #長曾我部元親 公に御典医として仕え、豊臣秀吉の四国攻めの折りに、主君とともに豊後に逃れた。以後彼の地で町医師となる。 pic.twitter.com/0M011N4y4F
構図は同じ(雄略天皇が再興の百済熊津王朝) 前後して皇別の南朝鮮支配経営(紀角や平群木菟やその子世代)※葛城襲津彦が新羅が秦韓封鎖の弓月君らを救出とか 大韓帝国から日本の植民地化日本統治下とまったく同じ pic.twitter.com/v9imzgJl7r
時代が雄略天皇朝の百済王朝ゆかり=大和軍が再興した熊津百済王朝の縁者に名前で百済王を与え そのあたりが高野が関係するようですね(桓武天皇の女系) そもそも北に遼河青銅期あり 南下は不可能で 日本から遡上組(遼河青銅期文明を駆逐し北上)が箕子朝鮮建国→この王朝が最終百済王朝更に熊津王朝の方 pic.twitter.com/GYF5Y5iaby
武内宿禰の系図はこれで問題ないですね(時代考証もあう) 紀直系男子が南朝鮮支配経営をする 他は 物部系男子が飛鳥地方 葛城国造系男子が葛城地方をそれぞれ経営の 皇別時代→倭の五王時代 雄略天皇武は大和に人質の東城王に500筑紫軍将付け 高句麗南下で百済王朝崩壊離散したが百済熊津王朝再興させる pic.twitter.com/2Hw9VZRV57
その通りです。 雄略天皇で有名な「倭の五王」以来、推古天皇に至るまで、王を選ぶ臣下の間に「男帝へのこだわり」が続いたのは、冊封体制の影響です。 南宋 (シナの王朝) から官職をもらえるのが、男性だけだったから。 #敬宮愛子さまを皇太子に pic.twitter.com/3Tp79oOfxD
そもそも、古代は双系社会です。 結婚の明確な住み分けはされず、一夫多妻ならぬ多夫多妻であったようです。なので、4、5世紀以前は明確な血統はよくわからないと言われています。男系の思想が入ったのは明らかに中国からのものです。日本の伝統ではありません。
ハセベ 【長谷部】 雄略天皇の御名代部から。御名代部名は皇居である長谷朝倉宮による。 中国地方、近畿には少ないが全国的に見られる名字。 埼玉県では丈部(ハセツカベ)氏の後裔と伝える。 name-power.net/fn/%E9%95%B7%E… pic.twitter.com/5xdiUa9AHa
私的倭国と大陸③ 大陸への交易路を物部氏に抑えられた蘇我氏と、百済に邪魔される新羅。 日本海を挟んだ両勢力が結託したのは当然の流れ。 478年に独裁王雄略天皇が崩御し、その反動で倭国は混乱。 最終的に応神天皇の血を継ぐ、継体天皇を祭祀王として迎え収束を図るも、豪族達の権力闘争は続く…。 pic.twitter.com/fIhvHnw1ia
5世紀 倭の五王は宋に7回朝貢、半島制圧の大義名分が必要だったのだろう。 珍(倭の五王の一人、雄略天皇以前)の時代、宋から安東将軍に冊封され 百済は日本の支援を取り付けるため、人質や宋から入手した仏教などの情報を日本に送る。 この時期、百済・任那・大和は混然としていたと思われる。 pic.twitter.com/dwEQ5hzDqn