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◎私は初めて、唐津市の鬼塚小学校で「お米の歴史」の出前ティーチャーを実施。唐津市の菜畑遺跡に稲作が大陸より伝来し、今日まで2000年以上続いている歴史を紹介、その後、石積みの体験を指導しました、児童生徒は喜んでくれました、これからも続けます。 #棚田 #唐津市 #佐賀県 #さがじかん pic.x.com/52c9getlsx

岩本英樹@tanadaguide

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◎「お米の歴史」の紹介 10回のうち10回目 ※まとめ  「お米の歴史」は2000年以上のつながり、小さな水田から大きな水田へ、人力作業から牛馬そして農業機械へと移っています  2025年(来年)も棚田ツアーを開催します、歴史が感じられる悠久の旅です   #棚田 #唐津市 #佐賀県 #さがじかん #観光 pic.x.com/n0ffte2wfn

岩本英樹@tanadaguide

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◎「お米の歴史」の紹介 10回のうち9回目     お米作りの耕作は牛馬の力でしたが、昭和40年になって動力の耕うん機が導入されました、今はトラクター、田植え機、コンバインの機械が無いとお米作りはできません。棚田では小型の機械が使用されています。 #棚田 #唐津市 #佐賀県 #さがじかん #観光 pic.x.com/iakli8psxp

岩本英樹@tanadaguide

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◎「お米の歴史」の紹介 10回のうち8回目    大正元年から6年にかけて造られた玄海町の値賀川内の棚田。お米をより多くつくるために耕地整理、そして、耕運機など動力機械が無い時代ですので耕作する牛が通り易いように道も整備しました。 #棚田 #唐津市 #佐賀県 #さがじかん #観光 pic.x.com/4miikhfoe6

岩本英樹@tanadaguide

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◎「お米の歴史」の紹介 10回の7回目  明治になり、蕨野地区は年貢から解放され、草刈り場であった原野を棚田へ、又、溜池を造り、棚田に石組み水路の暗渠を造るなど知恵と工夫で造成していく、そして昭和10年には日本一の高さがある石積みを完成させた。 #棚田 #唐津市 #佐賀県 #さがじかん #観光 pic.x.com/bamuwn7pn7

岩本英樹@tanadaguide

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◎「お米の歴史」の紹介 10回の6回目  260年続いた江戸時代は近代化の流れの中で明治維新により終焉する。明治に農家は年貢制度から解放され、新たな新田開発に取り組む。蕨野の棚田では、これまで草刈り場であった原野の払い下げを受けて棚田の拡大を行った。 #棚田 #唐津市 #佐賀県 #さがじかん pic.x.com/2tqwao6pq6

岩本英樹@tanadaguide

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◎「お米の歴史」の紹介 10回の5回目  天下統一の江戸時代では、各藩は領地の奪い合いは禁止、自国領の新田開発に取り組む。唐津藩の初代藩主の寺沢は二つの川を一つの川にし、お米を守る虹ノ松原を整備など。佐賀藩では成富茂安の指導でサイホン式の大堰など。 #棚田 #唐津市 #佐賀県 #さがじかん pic.x.com/l49grxiyxn

岩本英樹@tanadaguide

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『お米の歴史』10回の3回目 の投稿  佐賀県には「吉野ヶ里遺跡」や小城市の「土生遺跡(はぶいせき)」で弥生時代の出土品を見ることがでます。  お米作りは、鉄製農具の普及により、新田開発が進みます、そして、私たちはその歴史を学ぶことができます #棚田 #唐津市 #佐賀県 #さがじかん pic.x.com/9lsfpm6duc

岩本英樹@tanadaguide

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◎「お米の歴史」の紹介 12回の2回目 お米は日本で始めて大陸より唐津市の菜畑遺跡に伝来しました(弥生時代早期) 大陸との往来には、肉眼で唐津市から壱岐が見え、壱岐から対馬が見え、対馬からは韓国(釜山)が見えるという地理的好条件の基で当地は最適でした #棚田 #唐津市 #佐賀県 #さがじかん pic.x.com/tw8zyxli8z

岩本英樹@tanadaguide

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