- すべて
- 画像・動画
並べ替え:新着順
全長200㍍級の前方後円墳が継続して造られ、古墳群の構成は百舌鳥古墳群や古市古墳群と似ている。この、百舌鳥古墳群や古市古墳群との類似も、私が佐紀古墳群や馬見古墳群を準皇族=后妃の墓と考えている一因なのである。 もっとも、同規模の首長墓が継続して造られる埼玉古墳群のような例もある。
実はこう考えているのには理由がある。葛城地域の首長墓の編年はは室宮山古墳→掖上鑵子塚古墳→屋敷山古墳となるが、全長234㍍の室宮山古墳が最大で、後継古墳は全長150㍍前後と小さくなる。三宅古墳群など、同様の変遷を取る古墳群や地域はそれなりにある。一方で、馬見古墳群や佐紀古墳群では→
葛城氏の墓域とする説が有力だが、佐紀古墳群、馬見古墳群ともに一豪族の墓域とみなすには規模が大きすぎ、かつ交通の要衝に位置しているところから、大王の墓域に準ずるもの、おそらく后妃の墓域ではないかと考えたことがある。 どちらの古墳群も、規模もさることながら個々の古墳が大きすぎる。→
葛城氏の墓域とする説が有力だが、佐紀古墳群、馬見古墳群ともに一豪族の墓域とみなすには規模が大きすぎ、かつ交通の要衝に位置しているところから、大王の墓域に準ずるもの、おそらく后妃の墓域ではないかと考えたことがある。 どちらの古墳群も、規模もさることながら個々の古墳が大きすぎる。→
大和古墳群、佐紀古墳群、馬見古墳群、古市古墳群、百舌鳥古墳群を畿内5大古墳群という(おもに広瀬和雄先生が使っておられる)。大和古墳群以外は古墳時代中期に盛期があり、同時並行的に造営が進んだようである。古市古墳群、百舌鳥古墳群は大王の墓域、佐紀古墳群は和邇氏、馬見古墳群は→ pic.twitter.com/ocUX9d9LeW
おはようございます。 この辺の古墳について調べてみて驚いた! 馬見古墳群という名称があり、大小250程の古墳が集まっているのだそう。 この地域のコンビニの10倍以上の数だ。 コンビニを見つけるより古墳を見つける方が簡単という場所。すごい👍 #古墳が見える事務所 pic.twitter.com/yHsXtd4Bpc
今回は奈良県広陵町にある「新木山古墳」の記事を紹介しました。陵墓参考地で中に入ることはできませんが、馬見古墳群でも有数の巨大前方後円墳です。 新木山古墳(三吉陵墓参考地)|本当に押坂彦人大兄皇子の墓?~奈良県広陵町~ esevalue.com/nikiyamakofun/
あんまり言うと石が飛んでくるかな。 百舌鳥、古市、馬見、大和古墳群。 馬見古墳群が葛城氏に擬せられているのが謎だった。 巣山古墳は大王陵に準ずる大古墳だと思う。 個々の論証は今後の課題だが畿内の大古墳群は大和王権の陵墓だという説は個人的には納得できたと思う。 豪族連立説は無理かなと。 pic.twitter.com/8RuGOadHgm
『動画de市民大学講座』(106)「馬見古墳群と葛城の天皇陵」(考古学) 関川尚功先生は橿原考研のなかでも独特な立ち位置を持っている。 今回、馬見古墳群について新しい見解を披露した。 今後の古墳時代の理解にも変更を迫るかもしれませんね。 youtu.be/xC7TbHKoCYo?si… pic.twitter.com/uL1m115Vr9
牧野古墳には、馬見古墳群にある文代山古墳(5世紀末、48m四方の大型方墳)の石棺と伝わるものも展示されています 昭和35年まで、吐水口の蓋として使われていたようです pic.twitter.com/J5a95RU5LM
津堂城山古墳(大阪府柏原市、古市古墳群)で出土した #水鳥形埴輪(3体セット)が #巣山古墳(奈良県広陵町、馬見古墳群)でも出ていたことを知り #大和川 流域の二つの古墳が対を成すのではないかと見学に #広陵町文化財保存センター #準構造船 zero-position.com/entry/2024/05/…