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【3.20硫黄島】1932年ロス五輪馬術金メダリストのバロン西(西竹一男爵)は1945年3月中旬、硫黄島で戦死したとされます。33年後「西大佐の遺骨発見」と大々的に報じられましたが、誤報でした。現在に至るまで日本人でただ一人の馬術金メダリストは、かの戦いから79年たった今も行方不明とされています pic.twitter.com/SJjAn92RUH
【3.19硫黄島】1945年の今日の新聞。玉砕間近の硫黄島の続報が途絶えた一方、本土空襲関連記事が大きく掲載。中には米軍の墜落機に残された靴や服が「わが方に劣る」粗末さだったと伝える記事も。「自分の苦しい時は敵はより苦しいのだ」とし、日本の「物的戦力」の優位性を読者に印象付ける内容でした
一方輸入乗用車になると価格がすごいことになる さすが外車、オタカイデスネ ちなみにバロン西こと西竹一中佐はクライスラー、アメリカ滞在中はパッカードを購入して運転していたそうな 国産の乗用車は少し後の豊田AB型で4000円程 pic.twitter.com/oHBnSJMoaO
1945年3月22日、硫黄島の戦いでバロン西こと西竹一が戦死しました。 西の最期は不明ですが、火炎放射器で片目をやられながらも部下と最後の突撃を行ったといいます。 西の戦死の一週間後、ともに金メダルを獲得した愛馬ウラヌスも西の後を追うように亡くなりました。 pic.twitter.com/I9ozps3nHt
【3.14硫黄島】1932年ロス五輪馬術金メダリストとして著名だったバロン西(西竹一男爵)。硫黄島戦の最中だった1945年の今日の新聞は、西が戦車隊長として硫黄島にいる事実を報道しました。西は3月中旬に戦死したとされます。が、詳しい最期の状況は分かっておらず、79年たった今も行方不明のままです pic.twitter.com/LUGZZFTJWr
【3.13硫黄島】硫黄島に上陸した敵軍には中国人もいると79年前の今日の新聞は報じました。「敵遺棄死体ニ(中国人)認ム」との電報が恐らく根拠です。が、私が知る限り米軍以外も上陸したと伝える戦記はありません。米軍の制服を着た日本兵に米軍の銃で攻撃されたとの米側戦記は読んだことがあります。