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返信先:@Happyblossom_51私は蛍光オレンジのシャツでした。 ゆったり走っておられるように見えて、ふとウォッチ見たら㌔430くらいで、全然追いつけませんでした🤣 たまに富雄川でもすれ違っているみたいですが、人違いかも?と思って声掛けられず😂 次は勇気を出してみますね!
本日6月1日(土)富雄川クリーンキャンペーンを実施しました。たくさんの方に参加いただき、マリーゴールドを植えていただきました。皆さんもぜひ一度綺麗なマリーゴールドを見にきてくださいね😊 pic.twitter.com/wBrWFWCbQp
今週末6/2(日)はころりんく! 二名分館近くの田んぼも田植えが終わり、富雄川は新緑がとってもきれい🌿🌱🌳🍃✨ お散歩がてら遊びに来てくださいね🤗 あなたのお越しをお待ちしております🐼❣️ #奈良市 #二名公民館二名分館 #ころりんく #みんなの居場所 #どなたでもお気軽に #あそびにきてね pic.twitter.com/vyHFojJs4a
富雄川沿いを歩きながら、魚や貝を採ろうと思ったけど、本流ではすくえず。というか良い場所があまりない。水路2ヶ所でようやく魚を採った。片方は、素人目にもミナミメダカ。もう一方は、カダヤシかなぁ、と思ったけど、腹に模様がある。もしかしてグッピー?
今日は、高山溜池から大和川合流まで富雄川沿いを歩いた。6時間15分コース。富雄駅から下流側の奈良市域で、イワツバメの営巣地を4ヶ所見つけてるので、全域だとさぞかしたくさんあるかと思ったら、下流側には見つからず。上流側に新たに3ヶ所。増水直後だからかスッポンがあちこちで日向ぼっこ。
🉑矢田丘陵(大和郡山西側)が 宇摩志麻遅(女系鳥見族)の配下の鳥見族(鳥見彦は富雄川上流の丘の三椎の添御縣坐神社本殿真下に鳥見族が丁寧に葬る) 本流は朝廷の地鎮祭礼(鳥見山) pic.twitter.com/b4k0MEN5ow
矢田丘陵西側の富雄川流域は鳥見族の本拠地大和政権樹立後に久志玉(櫛玉)彦=応神朝に皇女が矢田縁地で饒速日と贈名 祭神櫛玉饒速日(ニギハヤヒ)誕生 本流祭礼は宮中奉職で男子宇摩志麻遅は鳥見山(三輪山南)を本拠 6孝安朝ゆかり姫が神憑り地に石上氏(神宝剣) 前後し奈良八島(多氏島田臣丹羽臣祖子上) pic.twitter.com/A4pVZ674bj
富雄川ホスセリ男系男子が宇摩志麻治 応神朝に皇女⭕八田(矢田)姫がこの富雄川ゆかりで 矢田坐久志玉(櫛玉)比古に 饒速日を贈名 じゃーん饒速日ニギハヤヒの誕生🎉 櫛玉饒速日とはホスセリのこと(=久志玉比古) ですよ と 天火明ー高倉下系統の葛城尾張氏(倭得玉彦の時に→東海湖入り尾張氏海部) pic.twitter.com/LdXpxSZtk4
富雄川に架かる #黒谷橋南側 に咲く、#ドイツアヤメ、シャクヤク、カルパティア•カモミールです。街頭活動の合間に、ホッとさせてくれる綺麗な花々です。今日は街頭活動、市議団会議、地域の会合へと、縦横無尽に地域を動いて参ります! pic.twitter.com/TOVs9IY7La
久志玉比古(櫛玉+応神朝皇女が富雄川沿い縁で饒速日贈名)出雲醜大臣の女系は天孫出雲国造系の娘とか 中臣物部の婚姻とか ※タカミムスビ斎部忌部もカミムスビ忌部と婚姻(瀬戸内拠点時※下流両氏相次いで房総半島に飛来) 熊野組で連続婚姻(八咫烏系葛城国造と海積高倉下系→下流尾張氏) 姫出し存続氏も pic.twitter.com/RepoQnsi5a
海部系図は江戸期ニギハヤと加筆したと社家さんから聞く 上段 海積高倉下系の葛城尾張氏更に東海湖(得玉彦系)飛騨国造や尾張国造(淡夜別で丹波国造海部で雄略朝外宮遷座で丹波大佐佐が度会神主祖※初代伊勢国造や大若子は天日別系で内宮遷座大宮司) と下段 富雄川久志玉彦(櫛玉+応神朝饒速日贈名)物部 pic.twitter.com/JH8263Jk6I
加筆無 高倉下(天香山命)が葛城尾張氏(下流東海湖尾張氏その分流丹波海部)※🈁熊野組 天火明©️ ニニギ ©️海積豊玉彦-布留多摩-天前玉-多栗彦(高倉下※天香山命祭神名) ↕ 宇摩志麻遅(櫛玉®️男子※女系鳥見姫)がいわゆる物部※富雄川 櫛玉(久志玉比古)に贈名で饒速日(応神朝) 三兄弟の山幸海幸®️物部 pic.twitter.com/QxYuc3bQHA
纏 度会春彦末裔から 海軍と陸軍があるだろうで調べたら 始祖AB海積天火明 あの櫛玉(久志玉彦)饒速日(応神朝贈名※矢田皇女が富雄川沿い久志玉社ゆかり)は末裔に 海部(海軍の高倉下末東海湖倭得玉彦系) 物部(陸軍か) がいる 川遡上伊賀到達氏が朝廷公認物部だよと度会春彦の末裔(隣接大水口宿禰系か) pic.twitter.com/sYpKIQZYs4
海積の一人の布留多摩が神武東征前に他の海積やカミムスビ(日向三代には瀬戸内に拠点→最終房総半島)等同様に関西東海湖関東に既に飛来の一人が後にニギハヤヒの贈名 富雄川流域をみると現場では久志玉彦(ゆかり矢田皇女皇后時代に櫛玉 彦に応神朝に彦 饒速日と贈る)と呼ばれ←櫛玉 土地の鳥見彦妹娶る pic.twitter.com/6oxEhvufyD
兄)天火明ー布留多摩 弟)ニニギー海幸 山幸 応神朝に饒速日と名贈る そもの久志玉比古で本拠の富雄川沿いで祀られた櫛玉彦(明日香に分霊) 既にで台頭し全国区物部祖を祭神名で 櫛玉饒速日(下流で記紀も採用) の流れ pic.twitter.com/YJt9xmlARj
下流の混乱はこのあたりですね 布留多摩が下流の応神朝にニギハヤヒ(饒速日)と名前つく 矢田(八田)皇后のゆかり地域に物部祖が既に久志玉比古(神武朝の領民の呼び名)で富雄川沿いに祀られていて→櫛玉の冠 布留多摩(系譜名)に 櫛玉饒速日(天皇が贈る名)が決まり 後世に古事記日本書紀も 物部祖饒速日 pic.twitter.com/31f7AyEDxP
海積天火明ー布留多摩 ニニギ(弟)ー山幸 海幸 布留多摩 そもそも富雄川沿い久志玉比古で※矢田(八田)皇后ゆかり地域 応神朝にニギハヤヒ命名(ニニギに合わせた感) 久志玉比古=櫛玉 応神朝に饒速日命名 で 櫛玉饒速日=祭神名 下流古事記日本書紀もニギハヤヒ物部祖 養子にすれば三兄弟 + 海幸山幸 pic.twitter.com/11dNoTYTtO
海積天火明(兄)ー布留多摩(久志玉比古) ニニギ(弟) 応神天皇ー仁徳天皇 応神朝にニギハヤヒ名前付けた 矢田(八田)皇后のゆかり地域に富雄川沿い久志玉比古神社 祭神名誕生 久志玉比古+ニギハヤヒ で 櫛玉饒速日 下流の古事記日本書紀もその名前の流れ pic.twitter.com/zkxQ7I0YbV
富雄のハンディマン跡解体かー、あそこで釣り道具買ってからくろんど池とか富雄川で釣りしてたなぁ。富雄駅の目の前に水深深いめの堰があってむっちゃ釣れたんよな、ほんまに駅の目の前で。もう1軒ローソンのちょい手前にも釣り道具屋があって通ってたなぁ。竜田川もやけど釣り場なんか今はほぼ皆無。
さて、この陽光の傾きは覚えがあるぜ😂 西ノ京駅のレンタルは17時までなので、今日は大和西大寺駅19時返却にしておいた! (予測済ィイ!ദ്ദി ᐢ._. ᐢ)←いばることではない) 25号から富雄川のサイクリングロード、あと秋篠川の京奈和サイクリングロードで一気に大和西大寺駅までー!🚲 18時50分到着🙌 pic.twitter.com/1fVyRJTSJj
大和郡山城を出て、本日の最終目的地は法隆寺です! 間に合うのだろうか⁉️(毎度こんなのばっか🥹) でも、せっかくなので寄り道もー!富雄川サイクリングロードを走って最初のお寺へ✨✨ 紫のお花が満開で、まさに紫野🙌 彼方に見えるのが慈光院⁉️と思ったら、住宅街から入れなかったので表の山門から〜 pic.twitter.com/9szSKyP3aD
船で上陸 1添神社本殿真下にナガスネヒコ密かに祀る 物部は神武天皇論功行賞から外れる 富雄川に久志玉比古神社と登彌神社周辺時代 乱後に2綏靖天皇即位 2等彌山の上津尾神社(水害前旧地)に宇摩志麻遅がニギハヤヒ祀る 3六代孝安朝に物部縁者姫石上の神籬(今の禁足地)に神降臨縁起に石上神宮 4阿斗台頭 pic.twitter.com/Dd2s4b9T0q
交野市磐船神社(参考地※富雄川沿い有力)は石切神社穂積(下流整備)と同じく 物部子孫多弁宿禰系(交野連)が土地に祀る 事代系乱神武皇別2綏靖天皇即位まで富雄川沿い密かに祀られ男子ウマシマジでゆかり富雄川沿い神社や等彌山作られ(ナガスネヒコ添社幕末まで秘) 大目以降10崇神朝以降に石切や交野整備 pic.twitter.com/HAOyMapUWX
物部肩野連(©️が男系9開化天皇朝の物部伊香色男の男子の多弁宿禰からが交野物部の肩野物部で®️女系は交野市隣の山代国造の天津彦根-天目一箇即ち天御影ー意富伊我都ー阿多根が山代国造→山代縣主長溝娘)が興るのが崇神朝以降で やはり船岩=ニギハヤヒ(クシヒコ)が大和入りポイントは富雄川沿いですよ pic.twitter.com/yXeHVX4uwZ
一部下流偽書(古事記日本書紀後作られた※但し斎部の一族再興の中臣意識した下心思惑からの古拾語遺は参考資料になり得る)の影響での社は別とし 大和にニギハヤヒ祭神がないのは富雄川沿いに温存してから事代系神武皇別2綏靖天皇即位からウマシマジで宮中奉職で二代目物部祭神の祖中心 但し®️本物祭神 pic.twitter.com/EclEnbcF4W
一枚目 神武論功行賞には物部は含まない(富雄川沿いに温存) 余談 熊野三山は上流物部で分離八尾市阿刀物部が後に熊野国造系とは全く別の下流で興る穂積(小碓皇子タケル同伴の亀山市忍山物部系が東海湖で穂積興る)が熊野三山や石切神社を整備する 二枚目 神武朝物部は富雄川沿いで力温存 男子奉職等彌山 pic.twitter.com/a22Nz2k69U
近鉄南生駒線(ご先祖の大塔宮護良親王が側近赤松円心と立てこもる虎の寺※25年前に散策した※裏側が最近散策した恩地神社)沿いでなくや龍田社でなく) ニギハヤヒらは富雄川沿い(添神社の本殿真下にナガスネヒコ鎮座※で添社二つある※下流クシヒコ)ですね→次世代で三輪山近くに等彌山にニギハヤヒ祀る pic.twitter.com/1f5ej0IrHi
そんな経緯で 大和の物部ゆかりの主祭神が男子のウマシマジから 最上流(ナガスネヒコとその妹とニギハヤヒ夫婦)は三碓添社から富雄川の少し下流の登彌社のあたり 男子ウマシマジが桜井の等彌山の上津尾社(旧地)にニギハヤヒを祀る(水害で今の場所) 八尾市⭕拠点→下流で熊野国造←穂積興る熊野三山社家 pic.twitter.com/yqzejz6r5O
🈁略図で 石切は穂積が創建整備で下流(タケル小碓皇子が東海湖入り同伴亀山市忍山社家物部が東海湖で興る穂積下流🈹) スネナガヒコは添神社(三碓の方※で添社二つある)の本殿下に祀る 富雄川下流の登彌神社にニギハヤヒとナガスネヒコ妹夫婦祀り ウマシマジ子供の代で宮中祭礼地鎮祭で等彌神社山に祀る pic.twitter.com/B4Nuyfz1de