- すべて
- 画像・動画
並べ替え:新着順
返信先:@hasibiro_maga年 天皇名 バック 280年 応神天皇 西晋 443年 雄略天皇 高句麗 (倭王済) 540年 欽明天皇 高句麗 倭の五王(想像) 讃 允恭 新羅 珍 安康 宋 済 雄略 高句麗+百済 興 顕宗 宋 武 武烈 新羅 3巴だったんでしょうね。
返信先:@T_Kusumi057さすがに忘れました。ブルーの表紙で厚みありましたが当時は2000円前後でしょうか、著者も無名のグラサンの人です(弁護士だか会計士だか) ただ雄略は倭王武でなく倭王興だとか弁辰は11ヶ国で弁韓が2ヶ国で弁辰と弁韓は別々の国だとかおかしな主張も多かったです
<tv>(NHKスペシャル)「ヤマト王権」★★★★空白の4世紀を経て、5世紀の中心は統一国家を築いたヤマト王権の倭の五王(讃(応神)、珍(仁徳)、済、興、武(雄略、ワカタケル))。讃は百済に援軍を送るが馬を操る高句麗に敗北。武の時代、鉄の甲冑と馬で再度高句麗と戦う。ヤマト王権のシンボルが前方後円墳
短歌一首 雄略の「籠よみ籠持ち」歌はれて三百年(みほとせ)経て後万葉集に載る 雄略天皇は「倭の五王」の武に比定、ワカタケルとされ、彼のこの長歌が万葉集(8世紀後半)に収録。ワカタケルは稲荷山古墳出土鉄剣の銘文にその名があり5世紀中頃の方と実在が確認でき、300余年歌い継がれ万葉集に‼️
返信先:@return1031お邪魔しますね。 これ完全に間違いです。冊封体制から抜け出したのが天皇制です。中国皇帝から称号もらってないでしょ?卑弥呼がうけたのが冊封です。倭王武(雄略)の段階でもまだ中国皇帝から倭王位をもらってました。 天皇制成立後に中国の冊封をうけた日本の権力者は足利義満です。
前田説とそれを支持する安本氏に沿って、讃=応神とすれば、記紀の系譜上、武=雄略は応神の曾孫。漢籍でこれを明らかに支持するのは『通典』の【宋武帝永初二年,倭王讚修貢職,至曾孫武,順帝昇明二年,遣使上表曰】の記事。 pic.twitter.com/pv1B7PB3b4