- すべて
- 画像・動画
自動更新
並べ替え:新着順
メニューを開く
国防を叫ぶ連中を見ていると、誰を守る為の国防なのだと思う。戦前の国防は"国体維持"を名目に頂点に近い層を守るものだった。ビルマのインパール戦で徴兵の五万ともの兵士が戦死なのに牟田口司令官は昭和41年まで長生きした。差し詰現代では麻生元財務あたりが生き残り、庶民は同じ運命かもしれない!?
メニューを開く
そうこうするうちに前代未聞のことが起きる。第三一師団が独断退却を打電してきたのだ。弾薬も食料もない中で戦えないという判断だった。2万人の将兵を指揮する師団長が軍の統帥を無視する異例の事態。「抗命事件」として歴史に残る。牟田口司令官は佐藤師団長を解任した htn.to/2ihg93t1HE
メニューを開く
牟田口司令官らは前線から300キロほど離れた避暑地に本部を置いてとどまっていた。そこには将校専用の料亭があり、戦況報告などが料亭で行われることもあった。前線からの命がけの報告を女と酒を飲みながら聞いていた。戦況が悪化しても「女と酒」に浸る姿は異様だ htn.to/2ihg93t1HE