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新幹線が東北上越はおろか岡山まですら開業しておらず、航空業界では雫石事故が起こった年だと考えると味わいが増してくるな。(成田新幹線計画もまだ生きていたはず) スカイダイビングだけは完全に予言的中してる。
1971年の雑誌より、カラー未来画報30年後の日本。 残念ながら、交通ビルも宇宙旅行も海底旅行も花びらルックもメタルルックもレインボールックも何一つ実現しませんでした。しかし21世紀がまだ未来で夢があった時代。2024年の今、30年後の日本をこの絵のように明るく予想できるでしょうか?
返信先:@deepone5950雫石事故を受けた改正航空法 航空管制空域における訓練飛行の原則禁止、 空港周辺空域における通過飛行の禁止と速度制限、特定空域の高度変更の禁止と速度制限 が絡むので、元都市部での操縦訓練名目での戦闘機等の使用はちょっと微妙かな? とも思います。
そんな、高空で「ミサイル」が命中したのであれば、その場で空中分解を起こして墜落、搭乗されていた乗員乗客は全て機外に投げ出され、即死しますが?生存者が四名もいた事の辻褄が合わなくなりますが?自衛隊は異常発生空域では、雫石事故を教訓に、航空機飛行航路では演習はしません #123便
1985年8月12日_日本航空123便の墜落事件は事故ではないです 表向きは機体後部の破損により墜落したとなってますが、本当は試験中の自衛隊機の誤ったミサイル攻撃によって墜落してしまい、その証拠を隠す為にボーイング社(アメリカ)の責任にしようとしたが、アメリカにバレて脅されて奴隷となる‥
返信先:@alicia_silmeria自分が自衛隊に入って部隊配属の頃から・・北部航空司令官だった人が「御用納め」翌「早朝」に非常呼集する人でね(´・ω・`) 三沢での「最初」が日曜の早朝4時半だったかな(´・ω・`) その人が移動で後方部隊の司令官になったと安心してたら、雫石事故に絡んだ「私的」利用ので総隊司令官が辞めて
返信先:@lvory_bear全てが記録どおり、組織が一枚岩で、ルール破りは存在しない、また技術や運用での失敗もない、とすると123便は落ちない、と思えてなりません。プラザ合意前、日航民営化前、などの状況も考えてしまいます。雫石事故は起こしている訳ですし。
返信先:@alicia_silmeria大体、仮にそんな「大事」やらかしたなら、配下の隊員等に「箝口令」敷いて、公言させないわなぁ、上級幹部が「パイセン」であろうが「漏洩」させてどうすると(´・ω・`) 大体、事故の翌年には、雫石事故の元教官の激励会に全国からT-33で関係者が集結したの当地のテレビに気付かれて~とかあったのだし
返信先:@grinyan0003939他1人事故を教訓に運用は変わっているのですが。雫石事故当時はフライトレコーダも義務化前ですよね。 自分の見たい事象しか認めないのは、加齢による認知機能の低下かも知れません。専門医による診察をお勧めしたいところです。
昭和46年7月30日、全日空B727型機と自衛隊訓練機が空中衝突した、雫石事故が起きました。 非情のライセンスでは実際の事故救助現場をOPに使った回がありました。 pic.twitter.com/sh9e7gBW4m