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返信先:@3rd88963735石光真清の手記という本があります。軍籍を外してまで満州でスパイ活動をした方でした。弟は中将にまでなっていますが、秘密の活動で報われてはいません。戦争が終わるまではおそらく、影の存在のままでしょう。
返信先:@yuno_sarashinaただ、石光真清がロシア革命の最中に、白軍と赤軍の内戦に苦しむ市民から聞いた言葉ですが 「革命はいけません…。 でも、革命を起こすような政治は もっといけません。」という考えもあります。 (帝政時代の名将ブルシーロフ将軍が赤軍に付いたと知った時はほんとにショックでした)
石光真清の手記には日清日露の戦役で捕虜となったことを恥じ帰還しなかった兵士の事例が出てくるので過度の単純化。 x.com/KOKAMIShoji/st…
日露戦役で第2軍軍医部長だったころの森鴎外のエピソードって ・石光真清が親友だった橘周太の弔辞を担うものの書けず、代筆を請け負う ・司令部あらかた外出中に敵が迫り、いざとなったら俺が指揮をとるのか?と馬に鞍をかけさせたまま待機する羽目に ・戦地で詠んだ和歌を戦後出版…
鶴木次郎のブログ: 中央公論社刊 石光真清著 石光真人編「城下の人」新編・石光真清の手記(一)西南戦争・日清戦争 pp.32~35より抜粋: jtsuruki.blogspot.com/2020/04/pp3235…
日露戦争を前にしたシベリアでの石光真清の諜報活動は有名です。熊本出身の石光は少年時代を神風連の乱や西南戦争などの動乱の中で過ごし、陸軍幼年学校に入り、陸軍中尉で日清戦争に参加し、台湾に遠征、ロシア研究の必要を痛感して帰国。石光は1899年から菊池正三と名前を変え隠密諜報を開始。↓
鶴木次郎のブログ: 中央公論社刊 石光真清著 石光真人編「城下の人」新編・石光真清の手記(一)西南戦争・日清戦争 pp.... jtsuruki.blogspot.com/2020/04/pp3235…
そこで、シベリアでの諜報活動は花田に代わって石光真清が活躍します。熊本出身の石光は、少年時代を神風連の乱や西南戦争などの動乱の中で過ごし、陸軍幼年学校に入り、陸軍中尉で日清戦争に参加して台湾に遠征、ロシア研究の必要を痛感して帰国します。↓
花田仲之助の続きです。1899年5月、敬慕していた川上参謀総長が急逝。同年8月、事実上の後任参謀本部第一部長の田村怡与造大佐がウラジオストク地方の組織的諜報網の構築のため町田経宇ら石光真清の両大尉をともなって同地を訪問。田村は花田に諜報活動の実状と今後の活動への意見を求めます。↓