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よーするに、0を1と書くのはフィクションだけど、1を100と書くのは演出の範疇ということ。まー薩長同盟の足がかりとなる亀山社中を介した薩長の武器取引(通商同盟)に奔走したのは龍馬だし、薩長同盟の裏書に龍馬の直筆が残されてるのも事実。そして「竜馬がゆく」は小説である。
史実では「坂本龍馬は大したことしてない」「実は織田信長は常識人」という話をSNSで時々見かけますが、最新の歴史学では実際はどういう説になっているのか気になって調べてみたので聞いてください。結論から言うといわゆる「司馬遼太郎史観」が「課長・島耕作」的世界観に立脚していたからこその歪み…
第二章『闇夜の二都』後編 1864年 池田屋事件 1864年 禁門の変 第三章『日本の夜明け』 1866年 3月7日 薩長同盟 1866年3月9日 寺田屋事件 1867年12月10日 近江屋事件 1868年1月27日〜31日 鳥羽・伏見の戦い 1868年3月13日 江戸無血開城
【ゆる募】 西郷さんや薩長同盟について、小学生でも分かりやすい漫画と資料でまとめてあるシリーズご存じの方居ませんか? 龍馬さんの↓ amzn.to/3UtldDB 持ってるんですが、比較的内容新しいかな?ってのと、カラー写真付き資料が良かったので… 他おススメあれば。 #西郷隆盛 #学習漫画
返信先:@denryoku_kitayoutu.be/k0WOIK1LWJ0?si… #日本保守党 #日本を豊かに強く 御早うございます🙇誠に御尤もですが、幕末の薩長同盟みたいなイメージでしょうか🤔それならば、日本の保守系界隈に坂本龍馬はいるのでしょうか?
高知と言えば坂本龍馬、桂浜お散歩 ☆ここから太平洋の彼方にアメリカを望んでいたのか?像の高さ13 mと意外に大きい ☆白浜、松林と龍王宮がひっそりと佇む ☆薩長同盟成立、船中八策から大政奉還 “日本を変える”33年の短い生涯 土佐の誇り😃 pic.twitter.com/P3NoByx0nW
薩長同盟は薩摩の家老小松帯刀と長州のエリート武士井上馨がやりましたではお話にならないもんな。
史実では「坂本龍馬は大したことしてない」「実は織田信長は常識人」という話をSNSで時々見かけますが、最新の歴史学では実際はどういう説になっているのか気になって調べてみたので聞いてください。結論から言うといわゆる「司馬遼太郎史観」が「課長・島耕作」的世界観に立脚していたからこその歪み…
返信先:@tougarashi2020他1人かつ、人斬りだの新撰組だの刃傷沙汰が絶えない、明日には道端に伏してもおかしくない時に薩長同盟だの大政奉還だの下士の身、脱藩浪士の身で土佐の殿様引っ張りだしたり果ては幕府方の勝海舟とも協力してって、どこがやり手のビジネスマンなのか笑 リアルミッションインポッシブルでしょうが!
最近の「龍馬下げ」の風潮には「実際何らかの形で関わっていたのでは?」と疑問を持っていましたが、倉本さんの記事を読んで納得出来ました。 薩長同盟も大政奉還も考えた人は他にいたでしょうが実行出来ずにいた…そんな時にキッカケを与えたのが龍馬だった!と思う。
上の要約ポストで紹介した「坂本龍馬は大したことしてない」とか「織田信長は実は常識人」という歴史の最新研究は実際どういう話なのか?そういう認識の変化はなぜ起きているのか?そこにあった「いわゆる司馬史観の歪み」とは何か?という記事は以下リンクからどうぞ。 note.com/keizokuramoto/…
返信先:@keizokuramoto最近の「龍馬下げ」の風潮には「実際何らかの形で関わっていたのでは?」と疑問を持っていましたが、倉本さんの記事を読んで納得出来ました。 薩長同盟も大政奉還も考えた人は他にいたでしょうが実行出来ずにいた…そんな時にキッカケを与えたのが龍馬だった!
青山忠正説では龍馬が木戸や西郷と話をする前に薩長同盟の大枠は決まったことになっていて、さすがにこれに関しては今では通説扱いになっているけど個人的にはこれすらちょっと疑ってる。島津久光がこの幕末の土壇場の場面でそこまでイニシアチブを取れる存在だったならなぜ明治後にあれだけ影薄い??
昨今特にTwitterでよく見かける「坂本龍馬は薩長同盟には無関係」という論の語り手として一番まともそうな人がこの町田先生のように僕は思ってたのですけどガッカリです。こんな内容をみんな信じてんの??と。従来の通説がどう違うのかが全く語られてないしなんなら嘘が書いてある。
今の時代、アニメの主人公に影響を受けたと公言するような大人がいる事を考えれば、例え創作であっても司馬遼太郎の描いた英雄たちに憧れを抱く方が人として健全だと感じる。嘘だでまかせだと騒いだところで、所詮は薩長同盟も大政奉還も誰も真実など知りようがないのだから。
史実では「坂本龍馬は大したことしてない」「実は織田信長は常識人」という話をSNSで時々見かけますが、最新の歴史学では実際はどういう説になっているのか気になって調べてみたので聞いてください。結論から言うといわゆる「司馬遼太郎史観」が「課長・島耕作」的世界観に立脚していたからこその歪み…
返信先:@keizokuramotoそれどころか町田先生は「龍馬が木戸と西郷の間を周旋して『薩長同盟』を成し遂げたとする一時史料は存在せず、全て明治以降の創作」と書かれていますが、木戸孝允覚書は少なくとも「創作」ではないでしょう。明治以降の資料ではあっても当事者の一人が語った内容ですよ。
薩長同盟がね⁇😎
史実では「坂本龍馬は大したことしてない」「実は織田信長は常識人」という話をSNSで時々見かけますが、最新の歴史学では実際はどういう説になっているのか気になって調べてみたので聞いてください。結論から言うといわゆる「司馬遼太郎史観」が「課長・島耕作」的世界観に立脚していたからこその歪み…
返信先:@keizokuramoto龍馬は言わゆる先駆けとして日本各地を歩き回った....とは言えないか? 例えば薩長同盟を成立させる為に鹿児島や山口を何回行き来したんだろ? 情報伝達の方法が乏しい時代であり道路整備はまだ手付かずの頃でもある 誰かが説明&交渉の為に歩き回ったんだろう…それが龍馬だった可能性は十分に有る
薩長同盟だけでなく大条理プランにも触れているので下のnoteもぜひ読んで貰いたい。 しかし龍馬好きはロクなやつがいない…割と好きと公言してるし龍馬大したことないという人に反論したりしてるけど自分もそんな風に思われてたかもw 司馬史観の歪みと言われても鵜呑みにする方が悪いとも思うのよね。
史実では「坂本龍馬は大したことしてない」「実は織田信長は常識人」という話をSNSで時々見かけますが、最新の歴史学では実際はどういう説になっているのか気になって調べてみたので聞いてください。結論から言うといわゆる「司馬遼太郎史観」が「課長・島耕作」的世界観に立脚していたからこその歪み…
木戸孝允の覚書と全く違う経緯で実は薩長同盟の条文はもう決まっていたなんてそんなことがあるのかな?六ヶ条盟約の条文に龍馬が朱で裏書したものは実物が残っているのだけど、じゃあ木戸は条文の成立過程に全く関わっていない龍馬に裏書を求めたのか?そんなことがあり得る???
返信先:@keizokuramotoありがとうございます。ただそこまでいくと、木戸の覚書が他の資料と不整合というより覚書の記載がほぼ全否定されてしまっているように思えて、そんなことがあるのかな?と個人的には思います。まあ一度町田先生の本を読んでみます。
返信先:@keizokuramoto町田先生の研究というともしかしてこれでしょうか?読んでみようと思いながらまだ買っていませんでした。ありがとうございます、今度読んでみます。ただその話は↑で触れた高橋先生の論文の内容とも木戸の覚書の内容とも異なるなあとは思いました 薩長同盟論: 幕末史の再構築 amzn.asia/d/3Ikip2E
返信先:@nonbirikingcpanoteの方で書いてますが、町田先生の研究によるとそもそも薩長同盟の条文が固まったと薩摩藩側の日記などで確定している日付にはまだ龍馬は京都に到着していなかったと判明しているそうです。その後明治時代に後付けで色々なエピソードが追加された事情についてもnote本文をお読みいただければと思いま…
返信先:@keizokuramoto龍馬が木戸孝允や西郷隆盛と薩長同盟に関して協議していたことそのものを嘘だという記事もありますが、私が所有している「坂本龍馬関係文書」に収録されている木戸孝允覚書には三者の会合の様子が詳細に記されておりほぼ司馬遼太郎の「竜馬がゆく」での描写そのものの場面です。
「丹念に一次資料を追うと」とありますがどんな一次資料にあたるとそうなるのでしょうか?司馬遼太郎が竜馬がゆくを執筆した頃から存在する「木戸孝允覚書」には、龍馬が中岡慎太郎と共に薩長同盟を提案してきたこと、薩摩との会談の様子などが丹念に記されています。どうぞご覧下さい。
返信先:@keizokuramoto概ね同意なんですけど、 > 条文の細かい検討とかの会議に坂本龍馬は参加してない 薩長同盟に「軍事同盟」としての意味を持たせた、歴史的意義として最も重要と言っていい六ヶ条盟約締結の場で坂本龍馬は極めて重要な役割を果たしていると思うのですが?? repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstre…
史実では「坂本龍馬は大したことしてない」「実は織田信長は常識人」という話をSNSで時々見かけますが、最新の歴史学では実際はどういう説になっているのか気になって調べてみたので聞いてください。結論から言うといわゆる「司馬遼太郎史観」が「課長・島耕作」的世界観に立脚していたからこその歪み…
龍馬が関わった事実は書簡などで残ってるのに、薩長同盟成立に関わってないだの言いふらす輩が多いのは、実際腹が立つ。 ちゃんと資料館にでも足を運んで史実史料の確認もしてない奴等が論じる舌を持たない訳で。 司馬遼太郎的英雄感はなくても、明治維新に貢献してるんですよ(´・ω・`)
史実では「坂本龍馬は大したことしてない」「実は織田信長は常識人」という話をSNSで時々見かけますが、最新の歴史学では実際はどういう説になっているのか気になって調べてみたので聞いてください。結論から言うといわゆる「司馬遼太郎史観」が「課長・島耕作」的世界観に立脚していたからこその歪み…
返信先:@keizokuramoto「今SNSで「薩長同盟に龍馬は関わってない」と言われているのは、まさにその「条約」が結ばれる会議とか、条文の細かい検討とかの会議に坂本龍馬は参加してないっていうだけ」 要するに社会性も社会経験もないネトウヨ引きニートには、根回しや接待営業の重要性そのものが理解不能ということだな嘆。
サイクリングび行ってきました😺 写真は幕末、薩長同盟が結ばれた跡地と京都国際マンガミュージアムです😺 朝から出かけたのですが、観光客でいっぱいでした~😅 pic.twitter.com/8eB11Wdq32