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#歌舞伎座 『鴛鴦襖恋睦』江戸期の作品だが現行は六世歌右衛門のS29第一回莟会のもの。古風かつ奇想天外な上、狂言の全体像が見えぬ故、あまり面白いとも思わなかったが、今回は清新な顔ぶれもあってか楽しめた。松也は艶やかで男前、右近もパッと咲くような華があって形よく、萬太郎俣野も闊達な敵役 pic.twitter.com/KZEWyVrc9r
衛劇で歌右衛門の京鹿子娘道成寺。勝手に白黒だと思い込んでいたらカラーだった。映画用か、衣装が豪華。幕開きと幕切れだけは舞台のように定式幕が映るが、それ以外は特設舞台っぽいセット。所化がみんな子供なのも面白い。大成駒はまだ若くて体も動く時期だからお手本のような踊りで美しい。
講演会の質疑応答であった「なぜ戯曲は書かなかったのか?」 金銭的な事もたぶんにあると思う。プラス、再現性の問題かなぁ。劇場に神様がおりてらっしゃる事は本当に稀だもの。 最晩年の歌右衛門さんの舞台をうっとりと語っていたのを思い出す
ようやく東劇へ。 しかし良くできた舞台で、この年では1番だったんでは。役者さんたちの日頃の研鑽ぶりが発揮されているのがまた素晴らしい。赤姫はふわっと歌右衛門さんの影が揺らいで見える。 各自がそもそも研ぎ澄まされた剣のようですから。 #刀剣乱舞 pic.twitter.com/G29P8R1HZd
朝幕から大切所作事。 歌右衛門丈の莟会所演が伝説化してる『おしどり』は、正直なところ、何度観てもわけがわからない。 しかし何度観てもひきつけられるんだな。理屈じゃないんだな。 私が鳥好き、羽・鱗好きだからかな。(そこかい!?🤣) #歌舞伎座 #團菊祭五月大歌舞伎 #鴛鴦襖恋睦 pic.twitter.com/4eTSx6Ni7o
これは完全に私の趣味なのだけれど、1960~90年くらいまでに出版された歌舞伎の入門書や、梅村豊、吉田千秋の歌舞伎写真集もデジコレに追加されており、パラパラと舞台写真を眺めているだけで楽しいです。歌右衛門、團十郎、幸四郎、松緑をはじめ、延若、鴈治郎なんかの良い写真がふんだんにある。
六世歌右衛門の摂州合邦辻、見たい(梅玉さん出るし)! 梅玉さんの明君行状記も2017じゃなくて2001版だけど(善左衛門は当時ハッシー)見たい! 5〜6月だけ再契約しちゃおうかなぁ。 <衛星劇場2024年05月>特選歌舞伎 youtu.be/VwnW4fDJbuU?si…
神奈川近代文学館の「帰って来た橋本治展」を観た。生涯を追うのは意外にあっさり終わって、窯変源氏物語などの原稿の展示が続く。一番印象に残ったのは第3部の橋本治美術館で、演劇界に載ったものを中心に、歌右衛門とか梅幸とか十三代目仁左衛門の顔の特徴とかをよく捉えているなと思った。 pic.twitter.com/Pp2xDJDWI7
頂点を極めた5代目歌右衛門でさえも死ぬ直前まで浅草に通って女剣劇やらレビュー見ていた……ってんだから、勉強の大切さなんよな。逆に今の歌舞伎役者が余りにも高慢すぎるのかも知らんが。「観劇に遅刻してきた」「他業種に無礼をした」とか。ゴシップ差引いても、そうネタにされるってことはさあ。
チャンバラ映画とか、忠臣蔵みたいな仇討ち芝居は、 終戦時、GHQが禁止したというハナシは聞いたが、 解禁後、昭和30年だと東映チャンバラ時代劇全盛。 この利根川シーンにも、 大友柳太郎、市川歌右衛門、東千代之介・・?。 ヤッパシ楽しみだったのは、東映時代劇だった思い出。
歌右衛門は立女形としての風格。ふたりとも吉右衛門劇団以来の互いの呼吸を知り尽くした出来でした。あの川を隔てての双方無言の仕方噺の面白さなど、ちょっと類を見ません。 pic.twitter.com/ukfgQ8Hqnm
返信先:@kamiaki1950私の祖父は若かりし頃、新国劇が好きだったそうで晩年は松緑辰之助親子が贔屓でした。叔母は前進座のファンクラブに入っていたそうで、私は歌右衛門、新派、杉村春子が好きでした。
昭和10年頃の木版の絵葉書交換会のものを整理していますが、子年は仁木弾正多め、亥年は定九郎多め。歌舞伎が身近だった時代ですね。私は政岡歌右衛門、仁木弾正吉右衛門が良かったな。 pic.twitter.com/EpBwtY9P1y
「吉野川」で本花道から出て仮花道の大判事を呼び止めるのが非常に難しくなる、と語っています。如何にも「花渡し」から「吉野川」への心理の繋がりを重視した歌右衛門らしく、筋を通すことと役者の生理とは必ずしも一致しないことがわかります。 pic.twitter.com/m1Kp1saLwT
この場があると、両家の対立と、入鹿が両家が承諾するか荒巻弥藤次に香具山の絶頂から遠眼鏡で妹山背山を監視させる、というドラマの枷が明らかとなり、観客には有難いことです。 しかし歌右衛門は「演劇界」5月号の「私の役づくり」で、入鹿の前での詰開きであまり両家の不仲を強調してしまうと、 pic.twitter.com/tHeIuyc4rt
五十年前・昭和四十九年(1974)四月国立劇場「妹背山婦女庭訓」。続いて歌舞伎では珍しく「花渡し」が出ました。 幸四郎のちの初代白鸚の大判事清澄、歌右衛門の太宰後室定高、鴈治郎の蘇我入鹿という大顔合わせです。 pic.twitter.com/Ro3oWnjZEV