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【#昔の跳び箱】 #京都市学校歴史博物館 の続きです。 今回は、昔の体育編です。 昔の跳び箱は、馬に乗ることができるようにということで、跳び箱に乗っていました。 絵のような #木馬の跳び箱 でした。(この絵は、#ChatGPT につくってもらいました。便利になったものです。)… pic.twitter.com/NPVw9h1BLO
【#日本画教育】 #京都市学校歴史博物館 の続きです。 京都では、明治維新後、伝統産業を支えるために、学校で日本画の授業が行われました。これは、伝統産業の基本技術の一つだったからです。… pic.twitter.com/dnHHgUkyHN
企画展 春らんまん 京の学校に咲く花々の絵 館所蔵の作品から花々を描いた絵画を中心に、子どもたちが花や植物について学んでいた教科書などもあわせてご紹介します 2024.4.4(木)~6.16(日)休館水曜 #京都 #京都市学校歴史博物館 kyo-gakurehaku.jp/exhibition/R6/… pic.twitter.com/uZT1NpK7Mh
【#小学課業表】 #京都市学校歴史博物館 の続きです。 明治2年には、京都では小学校ができました。 その頃の小学校では、寺子屋と同じように教科書として『#往来物』や『#論語』が使われていて、読み書きそろばんだけの学校も多かったそうです。… pic.twitter.com/drZUZy15oH
【京都の小学校】 #京都市学校歴史博物館 の続きです。 #京都 では、#明治2年 には、写真右の地図のように、地域を分け、学区域にしていました。そして、その区域に一つの小学校をつくりました。 国の小学校の制度がまだできていなかった頃なので、お金を地域から集めて、学校をつくりました。… pic.twitter.com/nozAoruttK
#なぜ学校に校門はあるのか?】 #京都市学校歴史博物館 によると 『學』の字は農作物の収納庫、『校』の字は陣営のしきりを意味すると言われており、ともに誰でも入れる訳ではない、支配者の聖域を意味する言葉です。」 ということでした。 学校が校門と塀によって「聖域」となっているのです。 pic.twitter.com/SDnjHugDqj