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1935年(昭和10)、大阪心斎橋筋にあった「つる家」という飲食店。「心ブラ党のオアシス」と呼ばれ繁盛したそうです。 (『写真心斎橋』より) #写真が語る大阪史 pic.twitter.com/XTEuWZpzEH
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大阪の異色の経営者、森口留吉が昭和初期阿倍野交差点南東角に開いた「冨士屋」という大食堂。森口は大正時代~昭和初期にあらわれた「炎の事業家」で、松下幸之助が教えを請いに彼のもとを訪れた話があります。事業ビジョンの違いから気は合わなかったそうですが。 #写真が語る大阪史 pic.twitter.com/bLZ7kIBAeq
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雑誌『関西の鉄道』に掲載されていた、開通前の泉北高速鉄道泉ヶ丘駅。ホームの形から奥が中百舌鳥方面でしょう。「試」の板を掲げた電車と、その前で座る作業員に昭和の昔の呑気さを感じます。#写真が語る大阪史 pic.twitter.com/6ZKn2yutQ2
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昭和10年以降の大阪市のPR映像より。地下鉄(御堂筋線)に乗車する当時のリアルタイムのモガ(モダンガール)たち。心斎橋という繁華街を通るからか、これから「心ブラ」(銀ブラの大阪版)に向かうのでしょうか。#写真が語る大阪史 #大阪メトロ #モダンガール pic.twitter.com/2QFBs9ne6Q