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RT @sfurro: 安土城の材木をどこから調達したのかは、史実的には明確にわかっていないらしいが、『火天の城』では木曽の檜それも伊勢神宮造営用の最高級の木材が密かに使われたことになっている。その背景には武田の檜木材課役に苦しんだ木曽義昌の寝返りの決心があった。 #木曽義昌

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返信 リツイート 2/18(火) 14:06

木曽氏の下総への移封は、小田原北条の滅亡後、家康が東海から江戸へ移されたのに関わるもので、この時信濃の領主たちの多くが、家康と共に関東への移転を命じられた。それぞれの家中の者たちは「信濃を去るか百姓として残るか」苦渋の選択を迫られた。 #木曽義昌

『長野県の歴史』によると、もともと信濃では二人守護制(上杉氏・小笠原氏)で守護の力が弱く国人たちが独立性をもってそれぞれの領地支配をしていた。木曽氏もその一つで、木曽家定(国史大辞典の木曽氏系図には載ってないが義昌より百年程前の代)が関銭免除する等交通網を支配し力を伸す #木曽義昌

木曽義昌のことがもっと知りたくなるが、『木曽谷の証人』も短編でごくわずかな期間を扱っているだけだし、戦国ドラマでもほとんど登場しない(「真田丸」にチラっと登場していましたが)・・・ 困ったときの山川出版で『長野県の歴史』を見ると、結構説明されていて勉強になりました。 #木曽義昌 pic.twitter.com/ZH1TnV42Tk

「朝日将軍」⇒「旭市」と、ちゃんと祖先の義仲にもちなんだ命名だったんですね! 信州の皆様にはこのこと知られているのかなぁ。 #木曽義昌 pic.twitter.com/skRjjkbXep

木曽義昌の武田⇒織田への寝返りは成功し(タイミングを間違って、寝返った先で「裏切者め~~」とやられちゃった人もいるみたいなので)信長に加増された信州の所領も、本能寺の変の後、家康に安堵されたが、その後、下総に移封となった。現在の千葉県旭市で、市のHPにも木曽義昌の説明が。 #木曽義昌

『夜明け前』にも登場する山村代官の屋敷跡は立派な資料館として残り、朝日将軍木曽義仲については熱~い研究会が地元で活動中だが、木曽義昌に関する地元の史跡というのはあんまり聞かないな~と思ったら、なんと義昌は木曽から下総に移転して生涯を終えていた! #ホントに読むぞ木曽義仲 #木曽義昌

木曽義昌は武田信玄の娘婿として武田陣営の一員になるが、相婿の北条氏政夫人黄梅院・穴山梅雪夫人見性院(保科正之の後見人になった女性)は信玄正室の娘であったのに対して、義昌の夫人は側室腹で詳しい経歴もわかっていない。武田と織田の間で悩む木曽氏については伊東潤『木曽谷の証人』 #木曽義昌

戦国武将には先祖が○○源氏だったというような系図を捏造(?)したのも多いらしいが、木曽義昌については義仲からの系図が国史大辞典(吉川弘文館)に載っている。義仲の嫡男義高は鎌倉勢に殺されてしまうが、その弟たちは生き延びて木曽周辺に根付いたようだ。 #ホントに読むぞ木曽義仲 #木曽義昌

安土城の材木をどこから調達したのかは、史実的には明確にわかっていないらしいが、『火天の城』では木曽の檜それも伊勢神宮造営用の最高級の木材が密かに使われたことになっている。その背景には武田の檜木材課役に苦しんだ木曽義昌の寝返りの決心があった。 #木曽義昌

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