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(重吉に絵心があればざっと描いてもらいそれを元に写すこともできたが、残念ながらなかった。それにくらべ)「環海異聞」の挿絵は外国の文書に載っていたものを元に、当地の人間に訊いて描いたものだが、「船長日記」ではそうはゆかず、載せられなかった #江戸の通信教育 0149.1 船長日記環海異聞04 pic.x.com/WjdqLF83T1

迫間健司@hazamakenj1

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柴田猪助も、「船長日記」中の「還海夷聞=環海異聞」という文字には気づいたはずだ。いつか大槻玄沢と面会できる機会があれば、「船長日記」のことや玄沢の著書について語らいたいと思ったにちがいない。実際に語りあうことのできた猪助の喜びは、いかほどだったろう #江戸の通信教育 0149 pic.x.com/c4KgaLmML3

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池田主鈴「船長日記のはし書」(画)の日附は文政5(1822)年11月(霜月)で、柴田猪助と大槻玄沢の会談の2年前である。猪助にとっては読みたての新刊という印象だろう。また、主鈴の書いた附言「附ていう」に「還海夷聞(ママ)」という文字が確認できる。主鈴も玄沢の著書を読んでいた #江戸の通信教育 0148 pic.x.com/2m2ey3ZihM

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今年 三河国に用事があって出かけた際、尾張国の船頭 重吉という男と出あった。その男は数年前に伊豆の子浦で暴風雨に遭い、舵を折られたばかりか帆柱まで切りすて とんでもない海域に吹き流されること1年5箇月余、まるで見当もつかない大海の沖に漂って #江戸の通信教育 0147.1

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「船長日記のはし書」によれば、文政5(1822)年 用事で三河を訪れた池田主鈴(44?)が、尾張からきていた重吉(38)とたまたま会ったとある(画)。柴田猪助(39)が新田開発に苦心惨憺している時期にあたる。重吉の奇想天外な漂流譚に感涙した主鈴は、その語るままを一気に聞書にまとめた #江戸の通信教育 0147 pic.x.com/6xw5gzQaRm

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『船長日記』の著者を 池田主鈴(しゅれい/名:寛親 ひろちか/号:藍水 らんすい)という。もともと磐城国は相馬の藩士だったが、相馬藩主の4男が三河国新城(しんしろ)藩の菅沼家の養子にはいった際につきしたがって赴き、三河国の住人となったものである 画:豊橋市中央図書館 #江戸の通信教育 0146 pic.x.com/OObGg8Vark

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2025年現在、愛知県豊橋市には「マケイン」の“ツワブキ高校”の原型となった県立時習館高校(富本町)があるが、藩校時習館と直接のつながりはない。藩校(藩黌)が存在したのは吉田城内で、豊橋市公会堂(1931〜。国登録文化財)の建つ地である 画:址碑から豊橋市公会堂を望む #江戸の通信教育 0145.1 pic.x.com/Ny2hrJNHRn

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柴田猪助と大槻玄沢が会談した文政7(1824)年、中山弥助は50歳である。文化12(1805)年に本居大平(本居宣長の養子)に入門していて、東三河 国学社中の中心人物だった。詩作をよくし、文化14(1817)年から吉田の藩校「時習館」の教授でもあり、著書に『後撰和歌集新抄』(画)がある #江戸の通信教育 0145 pic.x.com/q1Hl6m2TnK

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柴田猪助が『船長日記』を所持し 重吉の漂流始末をくわしく知っていたのは、跋文(「船長日記跋」 画:豊橋市中央図書館)をしるしたのが先述の友人 中山弥助(号:美石[うまし])だったからである。弥助は吉田藩郡奉行支配の郷同心で、猪助より9歳年長の国学者だった #江戸の通信教育 0144 pic.x.com/4OmfwEeP5q

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そして文化14(1817)年5月、師崎を出帆してから実に 3年7箇月、広大な北太平洋を一周した重吉(33)は、ついに郷里 知多半島は半田の土を踏む。死んだと思っていた妻に迎えいれられると、そこには父の顔すら忘れた成長したわが子がいた。家族と再会することができたのである #江戸の通信教育 0143 pic.x.com/Arb5Oij5HR

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海路、津軽は三厩に着くと以下は陸行、約ひと月 陸奥の地を歩いた重吉らは、文化13(1816)年12月4日 江戸は千住にたどりついた。幕府の蝦夷関係事務所「蝦夷会所」で厳重な聞きとりがおこなわれ、尾張藩に引きわたされたのは、文化14(1817)年4月4日のことである #江戸の通信教育 0142.1 pic.x.com/Eyho4AFZjS

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重吉らは松前に2箇月ほど滞在し、高田屋嘉兵衛(画。48)や弟の嘉十郎と面会、嘉兵衛も暮らしたことのあるカムチャトゥカの話などをした。異国に滞在し、異国人と交流したことで重吉らは50日もの揚屋暮らしを余儀なくされ、文化13(1816)年11月4日 ついに松前の地をあとにする #江戸の通信教育 0142 pic.x.com/1BQmhNU4ei

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択捉島には日本人がいた。調役下役の村上貞助(37)らである。米飯を馳走してもらい、着物まで誂えてもらうと 25島 国後(クナシル)島に立ちより、本国をめざした。蝦夷は松前の地 箱館――露西亜人は「エドモ」と呼んだ――に重吉らが到着したのは、文化13(1816)年9月20日である #江戸の通信教育 0141 pic.x.com/iAYisVbpVs

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漂民らは文化13(1816)年6月に第22島 得撫(ウルップ)島、7月には23島 択捉(イトゥルプ)島に着く。重吉(32)はこういう、「まず、ここは日本の島なれば、今は心安し」とはじめて人心地がついたと。大型貨物船の船長 重吉には、“択捉から南は日本の領土”との認識があったことがわかる #江戸の通信教育 0140 pic.x.com/28aHpzqwAG

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督乗丸 永寿丸の漂民あわせて 6人は越年し、氷の溶けた文化13(1816)年5月末、露西亜船にのせてもらい千島列島を南下した。しかしその途上、重吉と漂流生活をともにした半兵衛が6月11日に死んでしまう。14人で師崎を出た督乗丸の生存者は、重吉と音吉のわずか2名になっていた #江戸の通信教育 0139 pic.x.com/768McWrCsS

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高田屋嘉兵衛の事件については後述する。文化12(1815)年9月、露西亜船が3人の日本人を連れてきた。督乗丸遭難の前年、文化9(1812)年にクリル列島(Kuril'skie Ostrova=千島列島)の第7島 春牟古丹(ハリムコタン)島に漂着した「永寿丸」の薩摩人水主らだった #江戸の通信教育 0138 pic.x.com/P58T80TK9p

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カムチャトゥカには代官のルダコフという男がいて、重吉らの面倒をみてくれた。そこで、1通の手紙を見せられる。露領土に漂流した日本人があれば送りかえしてほしい旨がしるされていた。聞けば、その手紙を書いたのは日本人だという。名を訊くと、高田屋嘉兵衛(47)といった #江戸の通信教育 0137 pic.x.com/OIOBXIoFPL

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しかし、重吉の帰国の意志はかたく、滞在40日 文化12(1815)年6月、オホーツク Okhotsk をめざした。アリューシャン(Aleutian=アレウト Aleut)列島ぞいに48日間航海するが、霧がたちこめていたためカムチャトゥカ(Kamchatka)半島のペトロパヴロフスク(Petropavlovsk)に入港した #江戸の通信教育 0136.1 pic.x.com/kdR3NbzLyu

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“鎖された国”との通商を企図した露人はバラノフだけではない。露英会社の源となる会社を設立した千島探検家 シェリホフ(GrigoryIvanovichShelikhov)と、その娘婿で国策会社に発展させた男である。すでに登場したその男の名を、レザノフ(NikolajPetrovichRezanov)という #江戸の通信教育 0136 x.com/hazamakenj1/st…

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通商をゆるされないばかりか、半年ちかくも放置され囚人同然のあつかいをうけたレザノフ(画。Rezanov)は憤慨した。腹にすえかね、長崎退去後にフヴォストフ Khvostov をして北方襲撃させるべく命令をくだしていた。いわゆる「文化露冦」と称される事件である #江戸の通信教育 0067

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Sitka で重吉は露米会社(RussianAmericanCompany)総支配人 バラノフ(画: AlexanderAndreyevidhBarranov)に永住を勧められる。露米会社は対米貿易を業とする露国策会社で、英米勢力に押され新市場開拓を画策していた。ちょうど海を隔てた隣に、鎖した国が #江戸の通信教育 0135.1 pic.x.com/NTgz0p21bs

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重吉らは知るよしもなかったが、赤道を越え南下した督乗丸は 船体を転じて北米大陸に向かっていた。文化12(1815)年2月下旬、重吉らを救出した TheForester は Spain 領 SantaBarbara に寄港、船を修理すると北行し、積荷を売るため3月下旬、露領 Alaska の Sitka に入った #江戸の通信教育 0135 pic.x.com/qcFEzZVMvj

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“第2の独立戦争”とも呼ばれる「1812年戦争」の余波で、米船は太平洋上で英船に襲撃されるおそれがあり、TheForester は英船をよそおっていた。救出地点は「北緯32°45' 西経126°27'」。Mexico 独立直前でいまだ Spain 領の、北米大陸西岸 LosAngels 西南の海上(画)だった #江戸の通信教育 0134 pic.x.com/Kc5HED61J3

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船は約2500石積の大船で、船名を「ホーストン Forester」という。船頭を「シトマル」といい、その名を「ヲゼン・ペゲツ WilliamPigott」というらしい。このペゲツという船頭が実に篤実で親切で、救出した3人を厚くもてなしてくれ、筆舌に尽くしがたいほどだと重吉らは語った #江戸の通信教育 0133.1 pic.x.com/L1dr3woHKJ

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3人を救助したのは 英国 UnitedKingdom 国旗をかかげた米船で、「フォレスタ号 TheForester」といった。船長は NewYork 在住の英国人ピゴット William J. Pigott、重吉は聞き取りで「ペゲツ」と語っている。こうして、484日間という世界最長記録の漂流が終わりをつげたのである #江戸の通信教育 0133 pic.x.com/3UAjdOBIs1

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2人が口をそろえていうには、「我らはもう生還する望みがありません。船頭のあなたはこれまで苦心惨憺してこられた。しかも、元気なままでいらっしゃる。あの船に助けてもらいなさい。我らは、督乗丸の上で病床に臥したまま死ぬだけです。どうぞ、見捨てていってください」 #江戸の通信教育 0132.1 pic.x.com/TGIGIZPgMy

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病に臥すふたりがいう。「元気な船長だけ助けてもらえ。われらは船とともに死ぬ」。ふたりを鼓舞し身なりを整えさせた重吉は 羽織袴で正装し、接近する端舟に声をかけた。ことばは通じなかったが、救助を求める必死の身ぶり手ぶりが伝わる。3人は、奇蹟的に助けだされたのである #江戸の通信教育 0132 pic.x.com/B5W1mBPeLw

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帆柱をうしなっているため、督乗丸を視認できず発見されないのではないかと案じた重吉は、「まねき」――葭簀を棒に縛りつけたもの――を打ちふった。いったん通りすぎた異船だったが、旋回して近づいてくる。喜びいさんだ重吉はいそいで船室に降りると、臥している2人にそれを告げた #江戸の通信教育 0131 pic.x.com/TNjIczHqqM

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西南の方角に、唐船(異国船)らしき 2本帆柱で帆を夥しくかけた大船が1艘、西から東のほうへ走ってゆくのを見つけた。督乗丸から3里(約12km)ほど離れているように見えた。 #江戸の通信教育 0130.1 pic.x.com/4DIwKEXayN

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過酷な漂流生活が終わりをむかえたのは、その文化12(1815)年2月14日のことである。遭難以来、洋上で2度の正月を迎え、じつに1年3箇月もの年月が経っていた。その日、櫓にのぼり海上をながめていた重吉(31)が、2本帆柱の異船を発見した。異国船を意味する「唐船」としるしている #江戸の通信教育 0130 pic.x.com/OsMhffWLWf

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文化11(1814)年。3人の生者と10体の死骸を乗せ、腐臭ただよう督乗丸の苦難はさらにつづく。重吉らは9月に死骸を海中に投棄したが 11月、音吉 半兵衛とも病に臥してしまう。翌文化12(1815)年、漂流から1年2箇月が経っても、3人の姿は いまだ太平洋を漂う督乗丸の上にあった #江戸の通信教育 0129 pic.x.com/zg7cuWvVqK

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洋上の棺桶に閉じこめられること4箇月、督乗丸乗員の気力 体力とも限界に近づいていた。文化11(1814)年3月、重吉(30)をのぞく12名全員が病に倒れる。重吉は看病に孤軍奮闘したが 5月、10名が次々死んでいった。生きのこったのは、重吉のほか水主の音吉と半兵衛の3人だけである #江戸の通信教育 0128 pic.x.com/MiTKHY7PgH

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