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南至邪馬壹國。女王之所都、水行十日、陸行一月。も同じ。不弥国までは距離で説明しているのに、ここで急に邪馬台国までの日程を説明している。本来、ここには又が入るべきだが、当時の中国人にはわかるので省略しているとのこと<続く>
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>北部九州の小勢力 【南至邪馬壹國,女王之所都,水行十日,陸行一月。官有伊支馬,次曰彌馬升,次曰彌馬獲支,次曰奴佳鞮,可七萬餘戶。】 奴国は二万余戸。その3倍半の戸数です。
植田謙一@kenken6812
現時点で、記紀神話での女王卑弥呼の比定はあきらめた方がいい 魏志倭人伝に記録される邪馬台国は北部九州の小勢力で、ヤマト王権とはつながらないから記紀神話に卑弥呼はいない、との説に僕は魅力を感じる それで3世紀の原ヤマト王権の価値は減じない
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『自女王國以北、特置一大率、檢察諸國、諸國畏憚之。常治伊都國』 ~ 『東南陸行五百里、到伊都國』 『東南至奴國百里』 『東行至不彌國百里』 『南至投馬國、水行二十曰』 『南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月』 女王国の以北に伊都国、伊都国から南に邪馬壹國。整合性が取れている。