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兵十もごんも死にたるのどかさの矢勝川には朝の陽が照る (松村正直) 振り向けば行き先きまる匂ひしてそれでいいやん行けばいいやん(乾醇子) あこがれは私からとおいとおいもの 椎の葉しげる陪塚の丘(畑中秀一) 冬ならば冬らしく来い海溝にまつさかさまに沈みゆく斧(澄田広枝)
今日の史跡 藤井寺市古室二丁目 大鳥塚古墳 墳丘長110m 高さ12mの前方後円墳です。古墳時代中期の5世紀前葉頃の築造と推定されています。応神天皇陵の向いにありますが、陪塚てはなく独立した古墳で赤面山古墳という陪塚もあります。 戦争末期には、航空機を防護・隠匿する掩体濠が設置されました。 pic.twitter.com/NtYN0udF4P
太田茶臼山古墳。継体天皇陵として治定されているので立入禁止区域。こういう典型的な古墳って形の所初めて来たかも。雰囲気が聖域って感じでいいけど内部が気になる気持ちも同じくらいある。同時期に作られた小規模な墳墓(陪塚)は住宅街に溶け込んで公園の中にあったりする。4枚目の左右も陪塚。 pic.twitter.com/wgdFeuWyJD
今日の史跡 藤井寺市野中3丁目 野中古墳 5世紀前半から中葉頃の築造と思われる一辺37m、高さ4mの方墳です。墓山古墳の後円部北側に位置していて陪塚とも推定されています。 墳丘は2段に築成され、周濠があり、墳頂部地下には組合式木棺と木櫃からなる内部主体が5列に並列して埋納されていました。 pic.twitter.com/EPeDZlq4vz
今日の史跡 羽曳野市白鳥 西馬塚古墳 墳長45m、高さ9.4mの方墳で、5世紀後半に築造されたと考えられています。後世に削られているため墳丘は原型をとどめていません。 墓山古墳の後円部南東側に位置しており、墓山古墳の陪塚と考えられていますが、宮内庁より応神天皇陵の陪塚とされています。 pic.twitter.com/TjVi8BIuob
返信先:@TweetCat16他10人少なくとも応神・仁徳・履中天皇陵は巨大すぎて築造に2,30年ぐらいかかるので没年とのズレが生じると思いますが。 陵墓が完成するまで陪塚に葬っていたのかもしれない。
「パンの耳」第8号より 幸の字は日本の年齢分布図に似てると気づく辛の字よりも 「源泉」と聞くとき給与明細を、いや温泉を想える暮らし 畑中秀一/陪塚の丘
「パンの耳」第8号を刊行しました。18名の作品15首とエッセイが載っています。メンバーは、岡野はるみ・紀水章生・弓立悦・伊東文・仲内ひより・甲斐直子・河村孝子・添田尚子・佐々木佳容子・和田かな子・長谷部和子・松村正直・鍬農清枝・星乃三千子・乾醇子・畑中秀一・木村敦子・澄田広枝です。
今日の史跡 曳野市白鳥3丁目 向墓山古墳 東辺68.0m、西辺62.0m、南北両辺62.0m、高さは10.0m前後、古墳時代中期の方墳です。 案内板には墓山古墳の陪塚とありますが、宮内庁は墓山古墳を応仁天皇陵の陪塚としているため、「陪塚の陪塚は陪塚」 ということで応神天皇陵の陪塚として管理されています。 pic.twitter.com/0TaA2SN3nA
今日の史跡 羽曳野市白鳥 墓山古墳 古市古墳群のほぼ中央、誉田御廟山古墳の南西に位置します。全長約225m、後円部径約135m、高さ約20.7m、前方部幅約153m高さ19.3m、古市古墳群では5番目の大きさで、五基の陪塚が確認されています。 5世紀前半の築造と考えられています。被葬者は不明です。 pic.twitter.com/rRNHXaY4U6
埼玉古墳は今日も満車、稲荷山古墳と将軍山古墳の間の芝生広場に小円墳が8基あったようです。6世紀頃の陪塚(ばいちょう、ばいつか)大型古墳の側にある従者の小さな墓。写真は碑だけ有り、ここから水鳥の埴輪が発掘されてます。(瓦塚古墳からも同じ80cm位の高さ)行田外国語観光ガイド会は明日もガイド😀 pic.twitter.com/9OcRILS9pQ
垂仁天皇陵。 宝来山古墳、前方後円墳。 側に浮かぶ小島は垂仁天皇を追って亡くなった田道間守の墓と伝わります。 田道間守は常世国から非時香菓を持ち帰った事から菓祖とされています。 垂仁天皇陵側にある陪塚。 pic.twitter.com/wBtjwLFRbK
今日の史跡 羽曳野市誉田6丁目 栗塚古墳 誉田御廟山古墳の外側の堤に接して造られた方墳です。築造時期は5世紀前半。墳丘長は43m、高さは5mで、応神天皇陵の外堤と平行して築造されていることから応神天皇陵の陪塚と考えられています。円筒埴輪や形象埴輪が見つかっています。 pic.twitter.com/ZcPmVrygyu
今日の史跡 羽曳野市誉田 誉田丸山古墳(古市丸山古墳) 誉田山古墳の拝所の参道左手にある径50m、高さ7mの円墳です。5世紀の築造です。宮内庁によって誉田山古墳の陪塚とされていますが、埴輪の特徴からもう少し後に築造されたようです。墳丘の北側にそって窪地があり、周濠があったようです。 pic.twitter.com/XfpWx9AiaF
群馬県高崎市井手、上毛野はにわの里公園。 保渡田古墳群を中心とする歴史公園だ。 かみつけの里博物館で古墳の勉強をしたら実地にGO!。 前方後円墳の括れ部分に造出は無いが、規模的には首長規模の物、さらに陪塚と見られる円墳が規則正しく配置されている。 関西の同規模墳と造りが違って面白い。 pic.twitter.com/hQiJhno6Cu
スポット8、9は造山古墳と千足古墳!造山古墳は国内第4位で県内最大の前方後円墳で、全長350mあり、登れる古墳としては国内最大。千足古墳は陪塚の帆立貝式古墳で、県内最古の横穴式石室が見学可能。周辺には他に5基の陪塚があり、古墳巡りが楽しいスポット! #ぐるぐる古墳部 #はにおうじ pic.twitter.com/C9c9lqk2Sc