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「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条 東夷伝序文の終わりの方に書かれる 夷狄之邦而俎豆之象存中國失禮求之四夷猶信 夷狄の邦であっても、俎豆の習慣が残っている。中国は礼を失っており、これを四夷に求めるのは理のある事。 萩原1号墓の発掘調査、報告書に携わった、菅原康夫氏の「豆の祭式」 pic.twitter.com/2CEYfEOGgW
(漫画解放区50) (東夷伝)とは大韓国を歴史から消すための陳寿が企てた呪いだった。 これ、true,or,false,,どっちだ!(*≧▽≦)b pic.twitter.com/36C8JFSYVU
(漫画解放区41) だが、太安麻呂は陳寿の告白を目にして驚く😲。 (倭人の記事の筋書きは全部間違っているから、倭人の記事から実態を得ることは出来ない)。 太安麻呂は(東夷伝)の中に不思議な暗号を見出だす。それは大韓国を(夫余、高句麗、東沃沮、悒婁、穢、韓、倭)の七ヶ国に解体して書いている pic.twitter.com/7mNUw04Kea
(漫画解放区40) 陳寿の書いた(三国志)のうち、(魏書、第30巻)に(東夷伝)がある。そこに卑弥呼の治める国の事が記されている。 (倭人は帯方(ソウル近辺)東南の大海の中に在り、、、) pic.twitter.com/WB2w0pLIXZ
壹宮神社 下照姫 天雅彦 伝承地 欠史八代 第2-9代天皇 2-3世紀頃 ▼後漢書 東夷伝 倭国は元々男の王。147-189国々が争い倭国は乱れる。諸国共同で一人の女王を擁立すると治まった ▼三国志 魏志倭人伝 日巫女の4後男王を立てると再争。日巫女の血縁を擁立すると国は治まった youtube.com/watch?v=p5e-48…
返信先:@acecafe254他1人弥生人って本当にいたのかしらね。 『後漢書』東夷伝(列伝第七十五) 馬韓在西、有五十四國、其北與樂浪、南與倭接。辰韓在東、十有二國、其北與濊貊接。弁辰在辰韓之南、亦十有二國、其南亦與倭接。 (馬韓は西部に在り、54国を有し、その北は楽浪郡と、南は倭と接する。辰韓は東部に在り、 pic.twitter.com/ba8N3KJql5
やはり、朝鮮に(も)「倭」も「卑弥國」もありました。 『三国志』「魏書」「烏丸鮮卑東夷伝第三十」の「東夷伝」に、その記載がありました。 facebook.com/photo?fbid=314… pic.twitter.com/f9Aln0kRE2
「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条 陳寿の記述における 有棺無槨 弥生時代に築かれた我が国の木槨墓は 上記の陳寿の述べた「槨」とは 異なるという事なんですよ。 ホケノ山古墳の研究やこの本を読まずに 有棺無槨が〜とか言ってる人が多いね。 小羽山墳墓群の研究はもっと深く切り込んでいるよ。 pic.twitter.com/O7xVeALy1d
返信先:@starview1231他12人阿毎多利思比孤(天から垂れてきた彦=王)の都邪靡堆は阿蘇【外】輪【山】で、【山】の【外】でヤマト(邪靡堆)ですょ💗 魏志倭人伝の邪馬台=筑紫(脊振【山】南麓舌状【台】地吉野ヶ里) 後漢書東夷伝の邪馬台=大和 (山門⛰️⛩️⛰️二上山) 隋書倭国伝の邪靡堆=山外(🌋阿蘇外輪山) pic.twitter.com/VXI155vZdl
返信先:@starview1231他12人こらぁ~まだやってんのか🤬やっと判りましたよ💕 各史料はその時代の倭国王都をちゃんと書いており、それが混乱の素なんです❣ 魏志倭人伝の邪馬台=筑紫 後漢書東夷伝の邪馬台=大和 隋書倭国伝の邪靡堆=阿蘇山麓 └裴世清が天垂彦の都🌋まで来る途中で通った筑紫(↖則魏志所謂邪馬臺)と混同❣ pic.twitter.com/xrzoGqaLI2
漢字の「文」は、胸に文身(刺青)を施した人を表す象形文字。 夏后少康之子封於会稽 斷髪文身 以避蛟龍之害『三國志東夷伝』 夏の末裔は刺青を入れている(倭人も文身) 匈奴(夏后氏末裔)匈は胸に通じ、文身していた可能性がある。 宗像(胸形)氏は胸に龍蛇を示す文身を入れていた… pic.twitter.com/JQsuszbZR5