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デリダのエクリチュールが「日本にゴマをする」ための概念だという夜郎自大も凄いし、「デリダ自身は漢字を覚えて音声中心主義から脱出したのか」云々と(漢字仮名交じり文で)漢字廃止論者が語ってる風景は凄まじい。変な意味で田中克彦に興味がわいた。>x.com/arishima_takeo…
デリダさんはもう死んでしまったらしいが、エクリチュールだとか何だとか、漢字をほめるための用語まで作って日本にごまをすった人が、いったい自分自身で漢字を少しでもおぼえてそれを活用し、フランス語の音声中心主義からの脱出を実行しただろうか。by田中克彦『漢字が日本語をほろぼす』
デリダさんはもう死んでしまったらしいが、エクリチュールだとか何だとか、漢字をほめるための用語まで作って日本にごまをすった人が、いったい自分自身で漢字を少しでもおぼえてそれを活用し、フランス語の音声中心主義からの脱出を実行しただろうか。by田中克彦『漢字が日本語をほろぼす』
パロールとエクリチュールの現前性をめぐる関係を考えている過程でジャック・デリダを知った。1977年のことだ。 ジャック・デリダの『De la grammatologie, Les Éditions de Minuit』は1967年に出版された。 足立和浩訳で『グラマトロジーについて 根源の彼方に』が現代思潮社から1984年に出た。
この分野は読んだことないけど、面白そう。 「エクリチュールの性質をデリダは悪いものと捉えず、(略)間違って配達される「誤配」の可能性をなしにすることはできないし、その前提で人と付き合う必要がある、ということを考えました。」 現代思想入門 (講談社現代新書) a.co/7xC5gQB
ジャック・デリダの「エクリチュールと差異」、千葉雅也さんなども著作で言及している。人間は対面で会って話してみないと分からないもの。世界の分断と対立もSNSをはじめとするエクリチュールの印象がひとり歩きしているせいで皆さん無用に好戦的になってるせいではというのがわたしの分析(´・ω・`)
そういえば、この前のアガンベンとデリダの発表を聞いて、人間と動物を貫くエクリチュールを考えるデリダと、持たざる者の位置を名指そうとするアガンベンとの差異というところから何を言うべきかを考えていた。こういう断ち直しはランシエールでもロゴザンスキでも思うけれども。
ソレルスが「フロイトとエクリチュールの舞台」を引きつつ、フロイトはシニフィエのレベルしか知らなかったブルジョワだと言っているが、コフマンはそれに反対している。フロイトはエクリチュールについて知っていたし、ソレルスによるデリダの引用も不正確ではないか、と。
一般向けのプラグマティズムによる習慣による自分の成長の上に。 デリダ哲学による、世間や自分の変化。 習慣の中で出会ったエクリチュールはブリコラージュされて、その蓄積で世の中や自分が少しずつ変わったりドカンと変わったりする。 そう考えると柔軟でいい感じに人生送れそうだよな。
固有語法(イディオム)を、つねにすでに侵犯された境界に変えてしまう。純粋な固有語法(イディオム)は言語ではない。それが言語となるためには、反復されねばならない。反復はつねにすでに初回の先端を二重にしているのである。」(デリダ『エクリチュールと差異』合田/谷口訳、法政大学出版局、431)
ピーター・サモン『ジャック・デリダ:その哲学と人生、出来事、ひょっとすると』を通しであらためて一気に読んでみたが、初期デリダを手厚く記述してくれたうえで、7章のエクリチュール・フェミニンとの関係、8章のポップカルチャーとの関わりあたりから一気に加速する感じがとてもよいですね。
2次元(アニメ)と3次元(リアル) ネット上でよく言われること 「2次は虹 3次は惨事」 これは、思想家ジャック・デリダの パロール(リアル) エクリチュール(アニメ) に対応する。 だから、「ラブソング」と「リアルの恋愛」はまったく違う。
「脱構築」はもちろん、「エクリチュール・フェミニン」や「憑在論」に関する記述も大変興味深かった。これらの用語も含め、訳者による用語解説は参考になる。 ピーター・サモン『ジャック・デリダ-その哲学と人生、出来事、ひょっとすると』 - yamachanのメモ takashiyamashita.hatenablog.com/entry/2024/05/…
対面だと感情が邪魔して話し合いにならなかったりする これでは 伝わらない だから文学とその記述(エクリチュール)で 伝えるのが確実だ。 思想家ジャック・デリダはそのことを言おうとしてたのだろう そこにこそ変革(脱構築)がある。
ブルアカのノアのメモロビに出てくる詩は何だろなと思って調べてたら非常に面白い記事に行き当たりました ボードレールの詩を窓ガラスに書いたノアの意図などを、主にデリダ思想的な視点から解釈されているようです 『生塩ノア』試論―詩人とエクリチュール― |せんり note.com/kjujly/n/nf985…
フロイトのベストはやはり『科学的心理学草稿』。 デリダのフロイト論も『草稿』を論じた『フロイトとエクリチュールの舞台』が一番面白い。 K.H.プリブラム, M.M.ギル『フロイト草稿の再評価: 現代認知理論と神経心理学への序文』(安野英紀訳,金剛出版、1988)はぜひ再版してほしい。
そうだ。ひとつ思い出した。これは「訂正可能性の哲学」にも「訂正する力」にも書いていないけど、ぼくのいう「訂正」は、「過去が痕跡として保持されつつ上書きされる」ことなので、デリダの用語でいえば「アルシエクリチュール」、フロイトの例でいうと有名なマジックメモの話につながっています。