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④「戦略的機能を果たす。印徴はさまざまに異なる時間や領域のあいだに連関を設ける以上、いわば純粋状態における歴史的要素として働く。フーコーの考古学やフリードリヒ・ニーチェの系譜学は(そしてまた、これとは異なる意味でではあるが、ジャック・デリダの脱構築やベンヤミンにおける」 pic.twitter.com/kVawfy8FGO
ゲーデル的脱構築と(後期-)デリダ的脱構築の違いはつまり、それぞれ、"手紙としてのファルス(=ひとつの不可能なモノ)"と、"行方不明の手紙としてのファルス(=複数の不可能なモノたち)"ということか? これはなかなか、良い線いってる気がする?
というとき、同じもの(="ある手紙")が"純粋な形では届かない可能性"を発見することで、郵便システム全体の不完全性(=決定不可能性)を指摘することは、相対主義の新しい、いち意匠でしかないんだ、ということ?
ジャック・デリダを月ノ美兎は批判していて脱構築と言ってしまった段階でシラケることをシラケると言ってしまった段階で楽しく生きることは不可能ではないか?と。もちろんジャック・デリダに影響を受けた起業家がその無謀さを込みで訂正可能性をあっけらかんと唱えるところに彼のユーモアな茶番がある pic.twitter.com/PH1zNQZS2i
デリダはヘーゲルの弁証法を否定し脱構築を唱えることで、A対Bによる討論の外で観客席、言い換えれば観光客がいることで"余剰"が生まれ、公共性が成立する 一見、クソリプ、クソ引用は被害者当人からすればウザいが、ことXにおいてはそう言う人たちの"いいね"欄を見れば、色々と”察する”ことができる
「(脱構築の啓蒙主義的姿勢については異論はないが、しかし付け加えれば、脱構築はほとんど反啓蒙的なまでに徹底した啓蒙主義なのである)」(p413)。注の括弧内に綴られた、この小気味よいリズムの一文の意味するところに導かれながら、自分はデリダについて考えてきたように感じている。
返信先:@HASHIMORI53ぜひぜひ。🤗千葉雅也さんが、分かりやすく整理整頓されてるので、現代思想、ここでは、まず、フランスの3人の思想家、デリダ、ドゥルーズ、フーコー3人のそれぞれの脱構築が、身近な例を用いて分かりやすく解説されてます。今はここまで、面白いので、到達してるところです。
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デリダについては「脱構築」とか「差延」とか、そういう概念の名前だけ知っているだけで、デリダ自身のことはほとんど知らないのだけれど、たぶんレヴィナスのことを好きだったんじゃないかな?とは他所から見ても感じるくらいには好きだったと思う。
今日の動画はデリダです 脱構築という手法によってそれまでのヨーロッパ哲学が築き上げてきた序列や二項対立などは思い込みであると暴露しました デリダの脱構築【#ゆっくり解説 #倫理】 youtu.be/y7n_VAWALrQ?si… @YouTubeより
晩年のデリダによる脱構築(déconstruction)についての語源学的説明。どいつもこいつも、聖書なんかべつに読まなくても所謂「ヨーロッパ現代思想」を理解できると勘違いしてるわけだが、無理に決まってるだろ、ヘブライズムその可能性の中心「こそが」ヨーロッパの現代思想だよ、この馬鹿たれどもが
"また、彼(ハイデガー)はルターについてもよく知っていました。Destruktion〔破壊〕という語でさえも、ルターが用いたdestructioというラテン語に由来しています――[……]この語が意味しているのは[……]後からやってきて原初の福音のメッセージを覆い隠してしまった神学による固定化から→
脱すること、神学の構成を破壊することだと言います。des-tructioは、地層のように積み重なった神学の伝統を破壊して、あるいは脱構築して、記憶のはたらきを通じて、原初の福音のメッセージを再構成することなのです。"(「ハイデガーをめぐる対談」デリダ/ドミニク・ジャニコー(聞き手)、19頁)
ジャック・デリダにおいて、文章の間接話法の対象を他者と共有するような事態(「これって……まさか……」)は脱構築的な読み手を示していない。文章の意味の画一性を担保する点でそれはむしろ構築的な構成条件である。彼が散種や亡霊というアクチュアルな概念で示したものは作者の存在を担保する
まずは法と法外なもののパラドックスを見極めること。デリダの『法の力』を参考にしながら、警察の脱構築に入ろう。 senshu-u.ac.jp/~off1009/PDF/n… pic.twitter.com/NIJAOhY24J
二項対立からの脱構築(哲学者デリダ)って物の考えがあってやな。子どもの性別問わず女子トイレを使うのはざっくり性犯罪の防止やねん。男子トイレには1人で行かされへんねん。男児親vs女児親の対立から脱構築してこや。対立すればするほど得するのはどちらでもなく性犯罪者やで。
現状のルールでは異性の子どもを連れた親は自分の性別のトイレを使うようになっているのに、それを無視して男児を連れた母親は男子トイレを使えと言うのは、「私がお前と一緒のトイレを使うのは嫌だからお前がルールを破れ」と言っているわけで、とんでもな主張だよ。
まさにデルフィ「梯子を階段は梯子のなかではいくらでも増やせるが、それは男と女のあいだにある序列を前提とした連続体の階段に過ぎない。梯子を規定する上位と下位は壊れないどころか破損もしない」であり、デリダが忠告する、女性の置かれた階級を解体しないままの脱構築であり、転覆なき中性化。
ラッツァラートも「言語能力がなくても従属は起こりうる。その証拠に、言語能力がなくても『犬は命令を理解し、家畜は従わねばならないことを理解する』ではないか。」と述べているわけで。
なるほどね、デリダの脱構築ってのは、多義性に対する散種的な視座を同時に擁立することであって、その視座の内では"同じもの"が絶えず、引用・反復・再来されるのだから、その過程で可能世界の存在が問題となるワケだ。
mixi時代に、電話で話をしていたら、「待って、今私たち、デリダの脱構築の話をしてる」と言われて知らなかったので、デリダの本を取り寄せ読んだが、想像以上に難解で、電話でおれは何を話していたのだろうと思いました。
"Deconstruction"はジャック・デリダの「脱構築」?
特にメタルを聴ける方は是非手に取ってもらいたいです! 女性Vo.、トランペット有り、4人編成、変拍子、テンポチェンジ。いかに形にするかをめちゃ練りました! 是非聴いてみて下さい!
返信先:@shintak400デリダがまさにそういう見方について皮肉っぽく言及してるのを読んだことがあります。「現代社会がこんなふうになったのは脱構築のせいだとか言われてるけど… まさにその通り!(笑)」みたいな感じ
大学1年生で覚えたことといえば「SMにおけるSはSlave(奴隷)で、MはMaster(ご主人様)のことなんだよ」って教授が言っていたことだけど、思い返すと「下部構造が上部構造を規定する」っていうデリダの脱構築のことだったのかと今さら気がついた
何度もいうがデリダの脱構築の概念は、学者が手間と年月をかけて積み上げたエビデンスの巨山とせいぜい文法規則しか満たしていない思いつきを難解に行って見せただけのものを同レベルの比較の対象として提示することに学問的正当性を与える目的で乱用された。ソーカル事件はまさにそれを明らかにした
外国語は一切読まないって宣言してるし、あとデリダは膨大な蔵書のなかの二三冊しかちゃんと読んでないって!」 「そうですよね!あんな大量の本全部読めるわけないですもんね!」 「好きなこと追求しようよ!」 「ハイ!スキゾ、パラノ、脱構築、エピステーメ、重層的決定、」 「」
『読むことのエチカ ジャック・デリダとポール・ド・マン』拝受。デリダ/ド・マンを並走させる著者の修論「約束のアレゴリー 政治としての脱構築試論」以来の企図がまとめられており、こう言っていいのか分からないですがある意味『判断と崇高』に次ぐ(先立つ?)第二の主著といった趣きも感じます。 pic.twitter.com/FVNxuKz0gh
返信先:@0f1Kjq6ANj65131おお〜!いいですね! 明示的にデリダが参照されてる訳ではないですが、デフォルトで組み込まれてる装置として「二項対立の脱構築」が行われてるのは石岡良治『現代アニメ「超」講義』、ドゥルーズの映画論を魅力たっぷりに語ってるのは三浦哲哉『映画とは何か(4章)』などがあります!
もっとも古い論文は修論をもとにした99年の作。私自身、宮﨑さんの名前と文章を目にしたのは、あのデリダ特集号が初だった。実はあの特集号の中でもっとも難解な論考だったと思う。デリダ/ド・マンにおける脱構築の機械を論じて、今読んでも高度な水準が既に展開。
宮﨑裕助『読むことのエチカ—ジャック・デリダとポール・ド・マン』を恵投していてだく。ド・マンとデリダの関係を批判的に読み解き、両者の思索から脱構築の可能性を浮き彫りにする試み。読むことの不可能性に定位した思索の20年以上の集成を大いに讃えたい。 pic.twitter.com/8kM7mP8arJ
柄谷行人はフーコーの影響は強く受けている。ドゥルーズやデリダが何を言っているかは知っているし共通の認識を感じている部分もあるとは思うが著書で触れる事は無い。柄谷行人を読んで感じるのはドゥルーズは過去の人、デリダは脱構築思想より書かれていない近代思想の認識を評価している気がする。