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999年11月1日彰子入内のめでたい日。 そういえば一景に出てくる姫君が四人なのは、正室倫子の産んだ四人の娘(彰子・姸子・威子・嬉子)になぞらえているのか? 酉時を以て入内す。上達部・殿上人等、多く来たる。家人十八、九、参る。右中弁道方朝臣、御書を持ち来たる。
孝標女らの母は倫寧女。常陸から帰京したのは1020年の9~12月、従兄弟の道綱死亡が1020年10月16日。日記には書かれてないけど7日間の服喪が必要なはず...しかも親族で唯一の上達部(&天皇の元外戚)の死だしそう軽い出来事でもなかったんじゃ...帰京後、両親と住みだした家が三条院なのも気になる...
思うに、今日のAI絵自体が上達部の絵師たちの成果物を暴食していった結果でもあるから、そういう雰囲気の絵を描く絵師たちが人力で描いたものが判定サイトにかけたらAI判定高く受けるのは当然なのでは、と思うのですよね…。
枕草子は定子様や中関白家の栄華の記録であることを前提に作っている、と考えればこんな結論になるはずなくて、よく読めば「上達部や殿上人が気軽に遊びに来る定子サロン」「一条帝が定子様に気軽に会いに来て自分にもお声をかけてくれた」の思い出なわけですよ(オタク特有の早口)
兼ねて大弐の書状を披き読む。上達部、丞相の所に進み向かふ。太だ以て周章す。非常の事と云ふと雖も、階下に於いて三丞相、都督の書を披き読むは、言ふに足らず。下官、座を起たず。丞相、座に復して云はく、「『奄美島の者、海夫等の宅を焼亡し、財物を奪ひ取る。又、男女を舟に執り載せ、・・・
兼ねて大弐の書状を披き読む。上達部、丞相の所に進み向かふ。太だ以て周章す。非常の事と云ふと雖も、階下に於いて三丞相、都督の書を披き読むは、言ふに足らず。下官、座を起たず。丞相、座に復して云はく、「『奄美島の者、海夫等の宅を焼亡し、財物を奪ひ取る。又、男女を舟に執り載せ、・・・
大内義隆の賓客として「西の京」を彩った公家たち。 国主が主催した優雅な詩歌管弦の遊びは、彼ら都の貴人が華やかにしたことだろう。 関白の二条尹房、左大臣の三条公頼、大納言の冷泉為和といった上達部に目を奪われがち。 ただ、朝廷の実務を担当する「陣官人」まで滞在しているのは何処か異様だ。
自分一人なら源氏姓とはいえ王族の血を引く者で、そこいらの殿上人や上達部ではないが、たくさん妻がいる中の末席に据えるだけなら、たいした身分にはなれない。 それだと、何の変哲もない納言クラスの上達部の正妻になるよりも劣ることになる。」